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本文を一部引用してしまうので、これから読もうという人は以下は読まない方がいいかもしれない。

先月の旅行中のお供に購入。

インド旅行というと、沢木耕太郎の「深夜特急」のようなハードコアな旅行をイメージしがちだが、中谷美紀の場合、きちんとガイドをつけて観光するわ、エステのある清潔で高級なホテルに滞在するわでなんとも穏やかな感じ。なんというか、大人のインド旅行ならこういう選択肢もありなのね、という別の側面が見られる。

あとはヨガについての記載が多い。現地のヒンドゥー教徒のガイドの話:

「瞑想はいつだってしている。座って目をつぶるだけが瞑想ではないんだ。全ての瞬間が瞑想の時間になり得るんだ。瞑想とは空っぽになることだから」 その空っぽが難しいのだけれど、瞑想の果てにあるものは何かと尋ねると、 「それは、揺るがない心の平穏であり、自らを含む全てから自由になることであり、真我を見出すことであり、宇宙の絶対的な力との融和である」

最近、暑かったり体調がいまいちだったりで走ってないけど、長距離走をしていると、どんどんミニマルにシンプルにという方向に向かっていく感じがある。瞑想の空っぽになる感じとかけっこう近い感じがして、興味あり。

とはいえ、瞑想とかいう文字を読んでいるといまだにあのカルトのイメージもくっついてくるんだけど。

いずれにせよ、読みやすい文体で軽く読めるので何も考えたくない旅の途中などにぴったり。
どうでもいいから続きは読まないでおくかと思ったんだけど、何となく 2 巻を買ってしまいまた読み進めている。

たつをの ChangeLog: フューチャリスト宣言、読了
http://chalow.net/2007-06-04-4.html
で、梅田 望夫, 茂木 健一郎『フューチャリスト宣言』の内容が引用されている。

茂木 夏目漱石の主要な著作って、ほとんど新聞小説でしたが、 おそらくいまだったらネットで書いていますよ。あの人が東京帝国大の 教授を辞めて、朝日新聞に入った理由は、そのほうが多くの人に読んで もらえるから。いまだったら絶対ブログで連載をしていると思うんですよ。 (p.94)

江藤淳先生の授業では違うことを言っていたよなと思って、見つけたのがこれ。

読書のおと (江藤淳著作のページ)
http://www.asahi-net.or.jp/〜WF3R-SG/ntzetou.html

また、漱石の朝日新聞への入社を決める際の条件闘争は、極めて興味深いものがあります。それだけ漱石の立場は孤独で自分一人が頼り、という思いが強かったためだと思われます。 入社の条件等を問い合わせる手紙を読むと、漱石が大学を辞める覚悟を固めるにあたり、何より収入とその将来的な地位の安全を心配していたことが判ります。作家としての自信などは、まだ確固たる状況ではなかったのでしょう。

詳細はもちろん、江藤先生の『漱石とその時代 第三部』を読んでみないとわからないのだが。

ひさしぶりにアフィリエイトリンクを貼ってみる。

ハヤカワ文庫の『長いお別れ』(清水俊二 訳) も以前読んでいて、その時も引き込まれて読んだし、読後も「読んで良かった」と思った。実際、レイモンド・チャンドラーの他の作品も 2, 3 冊読んだと思う。ならばレイモンド・チャンドラーの村上春樹訳なら買わない手はないという感じで読んでみた。話のすじは覚えているようで覚えていないもんだ。おかげでほぼ最後まで「この先はどうなるんだろう?」と思い続けて読み進められた。あるひとつの結論だけは覚えてたんだけど、それはこれから読む人のために省略。

村上春樹の『羊をめぐる冒険』との類似点も多く感じる。なぜか惹かれてしまう同性の友人。先が読めず理不尽な事件に巻き込まれていく感じ。全体像のつかめない謎の積み重ね。得体の知れない大物の存在。現代社会に対する愚痴。ごく個人的な規範の重視、などなど。

新旧訳の違いは、村上訳の『グレート・ギャッツビー』もそうだったけど、やはり現代の言葉で書かれていてこちらの方が読みやすい (僕の場合、彼の文体になじんでしまっているというのもあるはず)。とはいえ『長いお別れ』は『グレート・ギャッツビー』の旧訳ほど読みにくくはなかった覚えがある。ただ、本書の村上春樹による解説によると、

清水氏の翻訳『長いお別れ』ではかなり多くの文章が、あるいはまた文章の細部が、おそらくは意図的に省かれていると言う事実がある。

とのことなので、こちらの方がより原文に近いことになると思う。正直、旧訳ではよくわからない言葉も一部あったと思うし、今回の方がより鮮明に像を結ぶ感じがあった。

『ニュークリア・エイジ』『偉大なるデスリフ』『熊を放つ』など、村上春樹訳でもぜんぜんおもしろくなかった小説は多かったと個人的に思う。その点、去年の『グレート・ギャッツビー』も全然期待してなかったんだけど、これに関してはあの退屈で「読まなきゃよかった」と思った旧訳がなんだったんだ? というくらい引き込まれた。今回はまぁ、旧訳でも好きだったから当たり前なんだけど、やっぱりおもしろくて、印象としては最近の村上訳の小説だったら好きになれるかなという気がしてきた。そういえば『心臓を貫かれて』もすごく引き込まれた。これはこれで底暗い、重い物語だったが。

しかしさぁ、こういう小説の、読む者を自然と引き込み翻弄させながらも、最終的には緻密に組み立てられていることに気づかされ感嘆させられるようなストーリーと比較すると、たまに目にするテレビドラマの物語の稚拙さはどうなんだろう。素人が適当に間に合わせで作ったような物語を莫大な人数の人が喜んで見ているという...


フルマラソン後のアキレス腱炎はだいぶ収まってきて、歩いていて足首がギシギシ言うことはなくなってきた。ちょっと前までかなり足を引きずる感じで歩いていたけど、今はほとんどふつうに歩いてます。でも走るのはあと 3 週間くらい控えないといけないんだろうな。

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