恋の終わりはいつも突然やってくる。
初夏の灼熱で校庭の奥に植えられた吉野桜の緑がゆらゆら揺れている。地方の県立高校2年生だった僕は広げた教科書に身が入らず、頬杖の軸腕を何度も換えてはそわそわしていた。
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太ることが罪であるかのような昨今の風潮に私は懐疑的でいたいと思う。体質の問題がある以上、肥満=自己管理ができない未熟者と一概には決められないだろうから。 しかしながら時として肉体の変容が精神の頽廃を導くことはある。私は友人のMからそれを学んだ。 学生時代中肉中背そのものであったMの体躯に変化があったのはおよそ一年前。待ち合わせの交差点に向かうと、目の悪い私が300m先の雑踏から確認できるほどMの肉体は変容を遂げていた。 「よくすぐに見つかったじゃないムフー」 近づいてみるとMの予想の範疇を超えた太り具合が遠近観を狂わせていて、実際にMは思っていたよりもう一つ奥の交差点に佇んでいた。3ヶ月会わないだけなのに、ヴァージンコーラを片手に佇むNは確実に肥えていた。目を離したスキに森永チョコボールの箱が微増していたような質感。頬が圧迫されて空気が漏れるのか、語尾に笑いだか風だか判別しかねる音が混じる。 地方都市に住んでいるMは東京に出たついでに服を買いたいというので、同行することにした。バランスボールがぶつかり合うように揺れる尻を追っていくと、今履いてるパンツと同じメーカーの直営店に迷わず入店していくM。入るいなや店員に「これと同じ白いパンツ置いてませんか?」と生地をつまんで訊ねるので、思わず私は横から入った。 「おまえ全く同じやつ買うの? 色違いとかあるのに」 「何言ってんだよ。同じやつ買えば何着るか迷わなくて済むじゃん!」 それは正論。世界中のみんなが同じ詰襟を着ていたら戦争なんて起こらないのに! いやいや違うだろ。私が知る限り、学生時代のMは極端にファッションに無頓着な人間ではなかったはずだ。それが何故28歳でこのような境地に? どんな船に乗ってモードから一番遠い彼岸に? そんな疑問を残したまま、日も暮れてきたので我々は居酒屋に身を滑りこませた。するとMは席につくなり「千と千尋の神隠し」の千尋の両親を彷彿とさせるハードオーダー&ミラクルイーティング。改めて全身を見渡せば貫禄がついたという様相ではなく、体のあちこちにバーベルのウェイトを溶接したような肉のつき方である。スキを見て顎下のぶ厚い肉塊をめくると、岩陰に隠れていたフナ虫がわさわさ逃げ出した。 聞けば最近仕事が多忙を極め、日が変わる時間帯に帰宅してはドカ食い、そのまま睡眠に陥る裏「TARZAN」ライフを繰り返しているという。それはいくらなんでも太る。 「いや痩せようとは思ってるんだけどねムフー。店員さんすいませんオニオンリングください」 「運動した方がいいんじゃないの」 「そうは言うけど休みの日は疲れて寝ちゃうしさムフー。もうちょっとカキフライのタルタルソースもらえますか?」 「じゃあ食べるの控えるしかないな」 「そうそう、それは分かってるんだけどなー。焼酎のロックおかわりでムフフフー」 仕事のストレスが食欲を昂進させるのは仕方がない。だとしても、いちいち「でも」や「けど」を挿入する諦めの心理が気になった。普段も脂っぽい食事ばかりしてるんだろうと水を向けると、Mはコキコキと回らない首を振って、寿司を結構食べているよと答える。 「なんだ気使ってるんだ。それはカロリー低くていいかもな」 「違う違う、出前取るから家出なくても済むわけ」 どうなんだろう。28歳にして寿司の出前。28歳にして食嗜好の決定権が「動かなくていい」こと。山岳部だった高校時代のNに「なるべく動かずに食べる」という思考回路は存在したのか。それはポケットにキャラメル1個で遭難した登山家の発想だ。 つまり肉体の変容によって生まれた「億劫さ」がMの中枢奥深くを支配しつつあるのである。これはまずい。このペースで肥えていけばすぐに水風船は破裂するであろう。 私はMから揚げだし豆腐が刺さった箸を取り上げると、ポケットにしまってあったサウザンドドレッシングの小瓶を手刀で叩き割り、その場で鞄の中に詰まっていたマヨネーズを土に埋めさせた。Mは瞳から大粒の砂糖水を流して号泣。仕方ない。私は心を鬼にしてこれ以上の頽廃を防ぐべく、強引に食生活の改善を誓わせたのである。 それから数ヶ月後。自転車転倒によって骨折した私は入院生活を送るハメになり、退院すると見計らったようにNから電話がかかってきた。 「入院してたんだって?バリボリ」 「いやーまいったよ」 「それも利き腕らしいじゃないかバリボリ」 「バリボリうるさいよ。おまえカール食べてるのか?」 変わっていない食生活を諭そうとした私を制するかのように、Mは得意そうに声をあげた。 「な! だからオレがいつも言ってるだろ? 外なんか無闇に出かけるからケガするんだって!」 「・・・・・・」 「バリボリ」 「だからカールうるさいって」 「違う違う、今食べてるのはオーザックだよバリボリバリ。そうそう、こないだがん保険入ったんだけど、たくみも一緒に入らない?」 怠惰は全ての思想を凌駕する。それを目の当たりにする一瞬だけ、私は太っていることに罪を覚える感情を否定できないのだ。ちなみにMの実名は出せないが、マシュマロマンのMだと思っていただいて結構です。
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先日右手首を複雑骨折して入院していた私は、見舞いに訪れた母親に耳掃除をしてもらった。なぜその話になったかは思い出せないのだが、退院後に酒場で友人にそのことを漏らしたのが全ての発端である。 「あー骨折しちゃ爪も切れないもんなあ。で、あれだ。右耳だけ掃除してもらったんだ」 「いや両耳を」 「だって左手は動くんだろ? 左は自分でやればいいのに」 怪訝そうな顔を作って灰皿に煙草をこすりつける友人。私は発言の意味が分からず、右腕のギプスをさすった。 「だって耳掃除してもらう時は両方してもらわない?」 「そりゃあそうかもしれんが・・・え、おまえ、自分で耳掃除しないの!?」 「俺、いつも母親にやってもらってるけど」 せわしなくふかした煙草の先から大粒の灰がぽとりと落ちる。横で言葉を失う友人の顔を覗き込みながら、私はサンタの存在を信じる少年級の無垢な表情で続けた。 「おまえは違うの?」
退(ひ)きましたか。
読者のみなさん退きましたか。ヤッホー。私の声は届いてますか。返事が聞こえませんよリピートアフターミーヤッホー(ヤッホー)。
そうなんです。私、不肖鈴木工28歳、この場を借りて告白いたします。その会話をするまでの28年間、耳掃除は母親にやってもらうものだと信じて疑わずに生きてきました。
退きたい読者は退いてください。私、不肖鈴木工魚座のB型、みんながそんなに頻繁に耳掃除していることも知りませんでした。人によっては毎日やっているとか。しかしそんなに必要か耳掃除? だって聞こえるんだもん、川のせせらぎも小鳥の唄も妖精の囁きも。耳奥なんて全然痒くないんだもん。いいじゃん半年に一回で。
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唾棄すべきは、ニャン娘の存在である。 いきなりタイトな書き出しになってしまったが、「今、ボクらを悩ますニャン娘の存在」と始めると「いつから「SPA!」のメルマガに登録したっけ?」と誤解するだろうから許していただきたい。それにしても動物占いの影響だか白蛇占いの薫陶だか知らないが、自分を猫に例える女性が急増していないだろうか? そう、ニャン娘とは「アタシって猫みたいな女なの」と言いきることにより、自身の身勝手さを理不尽にも全面解決させてしまう女性たちのことである。私がここ数ヶ月だけで3名のニャン娘と出会ったのは偶然ではあるまい。 成程、彼女たちは猫を自認するだけあって一様に小柄で目も大きく愛らしいルックスをしている。もちろん中には本人がペルシア猫やキティちゃんのようなハイソでキュートな自己認識をしているにもかかわらず、どう譲歩しても「じゃりん子チエ」の小鉄やたけし招き猫にしか見えない場末フレイバーなニャン娘もいるが。しかし重要なのは容姿ではなく、その生活行動&原理だ。 彼女たちに共通することは生活時間が不規則なこと。ゆずの「夏色」に出てくる猫さながら駐車場であくびをしながら一日を過ごす気配を漂わせ、そしてヒゲを切ったら方向感覚を失うごとく、髪をカットした翌日には無断欠勤してどこかへ行ってしまうようなフラフラした情緒の持ち主。きっと痴話喧嘩をして高所から叩き落しても無事地上に着陸する運動能力も秘めているに違いない。 そして最大の問題は、ニャン娘はカラカラ鈴の音を立てながらゴロゴロ咽喉を鳴らしてすり寄ってきたかと思うと、さらっと身をかわしてしまう点にある。ほんのさっきまで甘噛みしてくれたり爪を立ててくれそうな雰囲気を作っておきながら、いざとなると白い腹ばかりか掌の肉球すら見せずに姿を消していくのだ。 かくいう私もニャン娘に手痛い被害を受けた一人だ。今でも鮮明に思い出せる昨年の12月20日。この業界に入りたての私は初めての年末進行を経験し、うなる締め切りを前にまずは冷静になろうと携帯の電源を落として家でプレステ麻雀に熱中していた。多牌に気がついた時点でようやく現実に覚醒し、ノートパソコンを開いて仕事のメールをチェックすることにする。受信件数1件は当時私が交際していると思っていたニャン娘からのメール。身を乗り出して読めば、当たり障りのない近況報告のあとは以下の文章によって締められていた。 「それではたくみさんもよいお年を!」 ニャン娘とはいえさすがは大人だ。盆暮れの挨拶もちゃんとするんだねこの娘は。 ちょちょちょちょっと待て。ウェイトアミニット、ウェイラミニッ。動揺して中森明菜の「Desire」ばりに「t」を「ラ」で発音してしまう始末だ。 「よいお年を」ってまだ12月20日じゃないの? あの4日後に控えた男と女のだんじり祭りはどこへ行ったの? あわてて電話を入れて問いただしてみる。 「あれ? もうよいお年を、なの?」 「ニャオ」 「クリスマスプレゼント買ってあるんだけど」 「ゴロゴロ」 猫を気取る彼女はすでに言語による伝達が不能の状態。しかしゴロゴロって。避雷針代わりに携帯アンテナに雷でも直撃したのか? 結局ニャン娘からの連絡はその日を境に順調に途絶え、どうにも最近引越しをしたらしいのだが行方知れずのままである。今頃うちのタマはどこで細い目をしているのだろうか。 映画撮影用に100匹常備されていたチャトランみたいに代用猫が見つかるものでもないのだから。 今日も「仕方ないの、アタシが気ままなのは猫だから」と口癖を呟いてはそそくさと姿をくらますニャン娘たち。東京都が捕獲活動に乗り出すなら私にも召集令状を送ってほしい。
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