米に描いた世界地図(第1話〜5話)


第5話/新AV用語・「早弁」

恋の終わりはいつも突然やってくる。

初夏の灼熱で校庭の奥に植えられた吉野桜の緑がゆらゆら揺れている。地方の県立高校2年生だった僕は広げた教科書に身が入らず、頬杖の軸腕を何度も換えてはそわそわしていた。
朝のホームルームで行われた席替えの結果、僕の前の席にはNさんが座ることになった。学年で一番足が速い少女でありながら、清流の水だけで育った小鹿のように澄んだ瞳をしたNさん。スカイブルーの陸上部ジャージの上にちょこんと添えられた小顔は、まるで武田久美子の淫熟ボディの首上にカールスモーキー石井の顔を貼りつけたアイコラのようで、違和感と納得の狭間を行き交う絶妙な均衡を保っていた。
その運動能力と童顔のギャップに、老け顔で握力が学年最低という順当スキルの持ち主である僕は当然のことながら甘酸っぱい想いを抱いていた。さっきから意外に線が細いNさんの肩幅に目線がいくたびに、胸の誰にも触れられたことがない部分を針でつつかれるような心持ちになってしまって、全然授業に集中できない。
胸の振り子が音を立てているうち、退屈きわまりない2時間目の現代国語が終わった。しかしNさんは席を立たずに授業中と同じ姿勢を崩さずにいる。
部活で自由になる時間が限られているから休み時間を予習復習に活用しているのだろうか。僕は恥じた。「毎度おさわがせします」の再放送を見るために早々と帰宅し、学校でも「毎度おさわがせします」における堀江しのぶの魅力を語るという無為のスパイラルライフを送る自分を恥じた。
それにしてもなんて律儀な子なのだろう。ヘイプリティードール、どこまで小生のハートを鷲掴みにすれば気がすむんだい? Nさんの指先がどうしても見たくなった僕は、体勢をずらして手元を一瞥した。
Nさんは早弁をしていた。握っていたのはペンではなく箸だった。
男子王国における割礼、矢倉の上からのヒモを腰に巻いたダイブに次ぐ通過儀礼であり、男湯、男子便所と肩を並べる男の三権独立、早弁である。それをあの愛くるしいNさんが敢行しているなんて。それもまだ誰も弁当箱の包みを開かない2時間目終了後に。
よく見ればNさんの弁当箱は今までマンガの中でしか見たことがなかったアルマイト製のドカベンである。鈍器として人を殺める能力がありそうな重厚感。教室に舞い込んだ初夏の光線を反射して弁当箱がキラリと光った。Nさんはオカズには手をつけず、何の迷いもなくむしゃむしゃと米を重点的に攻めている。
その日の昼休み、購買部でチーズ蒸しパンを2個購入するNさんを見かけた。校庭の青葉はぬるい風に揺れて小さな音を立てている。僕が抱いていた木苺パイのように甘酢っぱい想いは、酢豚に近い甘酢の味に似た気持ちに変わっていった。

(次回に続く)

(2002年4月30日配信)

第4話/江国カロリー。持田カロリー

太ることが罪であるかのような昨今の風潮に私は懐疑的でいたいと思う。体質の問題がある以上、肥満=自己管理ができない未熟者と一概には決められないだろうから。
しかしながら時として肉体の変容が精神の頽廃を導くことはある。私は友人のMからそれを学んだ。
学生時代中肉中背そのものであったMの体躯に変化があったのはおよそ一年前。待ち合わせの交差点に向かうと、目の悪い私が300m先の雑踏から確認できるほどMの肉体は変容を遂げていた。
「よくすぐに見つかったじゃないムフー」
近づいてみるとMの予想の範疇を超えた太り具合が遠近観を狂わせていて、実際にMは思っていたよりもう一つ奥の交差点に佇んでいた。3ヶ月会わないだけなのに、ヴァージンコーラを片手に佇むNは確実に肥えていた。目を離したスキに森永チョコボールの箱が微増していたような質感。頬が圧迫されて空気が漏れるのか、語尾に笑いだか風だか判別しかねる音が混じる。
地方都市に住んでいるMは東京に出たついでに服を買いたいというので、同行することにした。バランスボールがぶつかり合うように揺れる尻を追っていくと、今履いてるパンツと同じメーカーの直営店に迷わず入店していくM。入るいなや店員に「これと同じ白いパンツ置いてませんか?」と生地をつまんで訊ねるので、思わず私は横から入った。
「おまえ全く同じやつ買うの? 色違いとかあるのに」
「何言ってんだよ。同じやつ買えば何着るか迷わなくて済むじゃん!」
それは正論。世界中のみんなが同じ詰襟を着ていたら戦争なんて起こらないのに! いやいや違うだろ。私が知る限り、学生時代のMは極端にファッションに無頓着な人間ではなかったはずだ。それが何故28歳でこのような境地に? どんな船に乗ってモードから一番遠い彼岸に?
そんな疑問を残したまま、日も暮れてきたので我々は居酒屋に身を滑りこませた。するとMは席につくなり「千と千尋の神隠し」の千尋の両親を彷彿とさせるハードオーダー&ミラクルイーティング。改めて全身を見渡せば貫禄がついたという様相ではなく、体のあちこちにバーベルのウェイトを溶接したような肉のつき方である。スキを見て顎下のぶ厚い肉塊をめくると、岩陰に隠れていたフナ虫がわさわさ逃げ出した。
聞けば最近仕事が多忙を極め、日が変わる時間帯に帰宅してはドカ食い、そのまま睡眠に陥る裏「TARZAN」ライフを繰り返しているという。それはいくらなんでも太る。
「いや痩せようとは思ってるんだけどねムフー。店員さんすいませんオニオンリングください」
「運動した方がいいんじゃないの」
「そうは言うけど休みの日は疲れて寝ちゃうしさムフー。もうちょっとカキフライのタルタルソースもらえますか?」
「じゃあ食べるの控えるしかないな」
「そうそう、それは分かってるんだけどなー。焼酎のロックおかわりでムフフフー」
仕事のストレスが食欲を昂進させるのは仕方がない。だとしても、いちいち「でも」や「けど」を挿入する諦めの心理が気になった。普段も脂っぽい食事ばかりしてるんだろうと水を向けると、Mはコキコキと回らない首を振って、寿司を結構食べているよと答える。
「なんだ気使ってるんだ。それはカロリー低くていいかもな」
「違う違う、出前取るから家出なくても済むわけ」
どうなんだろう。28歳にして寿司の出前。28歳にして食嗜好の決定権が「動かなくていい」こと。山岳部だった高校時代のNに「なるべく動かずに食べる」という思考回路は存在したのか。それはポケットにキャラメル1個で遭難した登山家の発想だ。
つまり肉体の変容によって生まれた「億劫さ」がMの中枢奥深くを支配しつつあるのである。これはまずい。このペースで肥えていけばすぐに水風船は破裂するであろう。
私はMから揚げだし豆腐が刺さった箸を取り上げると、ポケットにしまってあったサウザンドドレッシングの小瓶を手刀で叩き割り、その場で鞄の中に詰まっていたマヨネーズを土に埋めさせた。Mは瞳から大粒の砂糖水を流して号泣。仕方ない。私は心を鬼にしてこれ以上の頽廃を防ぐべく、強引に食生活の改善を誓わせたのである。
それから数ヶ月後。自転車転倒によって骨折した私は入院生活を送るハメになり、退院すると見計らったようにNから電話がかかってきた。
「入院してたんだって?バリボリ」
「いやーまいったよ」
「それも利き腕らしいじゃないかバリボリ」
「バリボリうるさいよ。おまえカール食べてるのか?」
変わっていない食生活を諭そうとした私を制するかのように、Mは得意そうに声をあげた。
「な! だからオレがいつも言ってるだろ? 外なんか無闇に出かけるからケガするんだって!」
「・・・・・・」
「バリボリ」
「だからカールうるさいって」
「違う違う、今食べてるのはオーザックだよバリボリバリ。そうそう、こないだがん保険入ったんだけど、たくみも一緒に入らない?」
怠惰は全ての思想を凌駕する。それを目の当たりにする一瞬だけ、私は太っていることに罪を覚える感情を否定できないのだ。ちなみにMの実名は出せないが、マシュマロマンのMだと思っていただいて結構です。

(2002年4月17日配信)

第3話/棍棒かと思ったらでかいジョンソン綿棒

先日右手首を複雑骨折して入院していた私は、見舞いに訪れた母親に耳掃除をしてもらった。なぜその話になったかは思い出せないのだが、退院後に酒場で友人にそのことを漏らしたのが全ての発端である。
「あー骨折しちゃ爪も切れないもんなあ。で、あれだ。右耳だけ掃除してもらったんだ」
「いや両耳を」
「だって左手は動くんだろ? 左は自分でやればいいのに」
怪訝そうな顔を作って灰皿に煙草をこすりつける友人。私は発言の意味が分からず、右腕のギプスをさすった。
「だって耳掃除してもらう時は両方してもらわない?」
「そりゃあそうかもしれんが・・・え、おまえ、自分で耳掃除しないの!?」
「俺、いつも母親にやってもらってるけど」
せわしなくふかした煙草の先から大粒の灰がぽとりと落ちる。横で言葉を失う友人の顔を覗き込みながら、私はサンタの存在を信じる少年級の無垢な表情で続けた。
「おまえは違うの?」

退(ひ)きましたか。 読者のみなさん退きましたか。ヤッホー。私の声は届いてますか。返事が聞こえませんよリピートアフターミーヤッホー(ヤッホー)。 そうなんです。私、不肖鈴木工28歳、この場を借りて告白いたします。その会話をするまでの28年間、耳掃除は母親にやってもらうものだと信じて疑わずに生きてきました。
待っていただきたい。そのしなびたパセリを見るような視線を私に送るのは止めていただきたい。私は俗に言うマザコンではないし、どちらかといえば独立心の強い人間である。この世に生を授かった時は自ら臍の緒に和鋏を入れたくらいだし、自分で洟もかむし爪も切るし八割方尻も拭くし自慰も自堕落も自家中毒も全部自分の責任の下に行っている。ママにやってもらうのは着ていく服のチョイスぐらいだよ! 今のは冗談。冗談だからそのバナナの傷んだ部分を見る目で私を凝視するのはやめたまえ。
何故と聞かれても困る。「竹の耳掻きで掃除できるような乾燥耳垢は自分で処理するもの、自分のようなジョンソン綿棒を使う湿気を帯びた耳垢は人に処理してもらうもの」という身勝手な定義が存在して、その誤りを今まで誰も指摘してくれなかったからとしか説明の仕様がない。
思えばこの人生、友人と耳掃除について腹を割って話す機会に恵まれなさすぎた。きっと修学旅行の夜に私が熟睡したあと、同級生は夜を通して「・・・実はオレ、爪楊枝が一番好きなんだ」などと赤裸々な告白合戦をしていたに違いないのだ。
酒場の一件から私は知人に平均的耳掃除ライフを訊ねまくり、どうやら自分はアブノーマルな存在であることに薄々感づき始めた頃、さらに衝撃の事実が発覚。膝枕ではなく、正座した状態で母親に横から耳をほじられる体位が不自然だと指摘されたのだ。おそろしく不安定らしいのだが、そんなに異常なのこれって? まだよく分かりません。私にとって子供と大人の耳掃除の線引きは「母親にやってもらう」と「自分でやる」ではなくて、「膝枕でやってもらう」と「座ってやってもらう」であったのだが。
もしかするとこれは私に恥をかかせようとする君江(マザー)の壮大なプロジェクトなのではないか? 責任転嫁の糸口を見出した私は早速実家にTELをした。
「かくかくしかじか。という経緯で「カッコーの巣の上で」扱いされてるわけ。俺は異常なのかな?」 「言ってることが分からないわね。確かにあんたが実家に帰った時は耳掃除してるけど、そんなの半年に一回じゃない。それ以外は自分で掃除してるんでしょ?」
「いや。したことないよ。俺の耳掃除はその半年に一度で全部」
電話の向こうで君江(マザー)の言葉が途切れ、遠くで鳴る踏切の音が受話器から小さく聞こえる。私はサンタの正体を知ってしまった少年級の驚愕で訊ねていた。
「みんな違うの?」

退きたい読者は退いてください。私、不肖鈴木工魚座のB型、みんながそんなに頻繁に耳掃除していることも知りませんでした。人によっては毎日やっているとか。しかしそんなに必要か耳掃除? だって聞こえるんだもん、川のせせらぎも小鳥の唄も妖精の囁きも。耳奥なんて全然痒くないんだもん。いいじゃん半年に一回で。
母親は事態を把握するや声を低くして、「・・・工、それは誰にも言わない方がいいわよ」と箝口令を発令。おかあさんがそういうからひとにいうのはやめようとおもいます。冗談だって。冗談だから回転寿司で流れてきたミルクプリンを見るような邪険な視線を注ぐのはやめておくれ。右腕のギプスが取れた時、私はペンよりも箸よりも先に綿棒をつかむような気がしてならない。

(2002年3月19日配信)

第2話はネタ重複のため省略

第1話/江戸家まねき猫は元祖ニャン娘

唾棄すべきは、ニャン娘の存在である。
いきなりタイトな書き出しになってしまったが、「今、ボクらを悩ますニャン娘の存在」と始めると「いつから「SPA!」のメルマガに登録したっけ?」と誤解するだろうから許していただきたい。それにしても動物占いの影響だか白蛇占いの薫陶だか知らないが、自分を猫に例える女性が急増していないだろうか?
  そう、ニャン娘とは「アタシって猫みたいな女なの」と言いきることにより、自身の身勝手さを理不尽にも全面解決させてしまう女性たちのことである。私がここ数ヶ月だけで3名のニャン娘と出会ったのは偶然ではあるまい。
成程、彼女たちは猫を自認するだけあって一様に小柄で目も大きく愛らしいルックスをしている。もちろん中には本人がペルシア猫やキティちゃんのようなハイソでキュートな自己認識をしているにもかかわらず、どう譲歩しても「じゃりん子チエ」の小鉄やたけし招き猫にしか見えない場末フレイバーなニャン娘もいるが。しかし重要なのは容姿ではなく、その生活行動&原理だ。
彼女たちに共通することは生活時間が不規則なこと。ゆずの「夏色」に出てくる猫さながら駐車場であくびをしながら一日を過ごす気配を漂わせ、そしてヒゲを切ったら方向感覚を失うごとく、髪をカットした翌日には無断欠勤してどこかへ行ってしまうようなフラフラした情緒の持ち主。きっと痴話喧嘩をして高所から叩き落しても無事地上に着陸する運動能力も秘めているに違いない。
そして最大の問題は、ニャン娘はカラカラ鈴の音を立てながらゴロゴロ咽喉を鳴らしてすり寄ってきたかと思うと、さらっと身をかわしてしまう点にある。ほんのさっきまで甘噛みしてくれたり爪を立ててくれそうな雰囲気を作っておきながら、いざとなると白い腹ばかりか掌の肉球すら見せずに姿を消していくのだ。
かくいう私もニャン娘に手痛い被害を受けた一人だ。今でも鮮明に思い出せる昨年の12月20日。この業界に入りたての私は初めての年末進行を経験し、うなる締め切りを前にまずは冷静になろうと携帯の電源を落として家でプレステ麻雀に熱中していた。多牌に気がついた時点でようやく現実に覚醒し、ノートパソコンを開いて仕事のメールをチェックすることにする。受信件数1件は当時私が交際していると思っていたニャン娘からのメール。身を乗り出して読めば、当たり障りのない近況報告のあとは以下の文章によって締められていた。
「それではたくみさんもよいお年を!」
ニャン娘とはいえさすがは大人だ。盆暮れの挨拶もちゃんとするんだねこの娘は。
ちょちょちょちょっと待て。ウェイトアミニット、ウェイラミニッ。動揺して中森明菜の「Desire」ばりに「t」を「ラ」で発音してしまう始末だ。
「よいお年を」ってまだ12月20日じゃないの? あの4日後に控えた男と女のだんじり祭りはどこへ行ったの? あわてて電話を入れて問いただしてみる。
「あれ? もうよいお年を、なの?」
「ニャオ」
「クリスマスプレゼント買ってあるんだけど」
「ゴロゴロ」
猫を気取る彼女はすでに言語による伝達が不能の状態。しかしゴロゴロって。避雷針代わりに携帯アンテナに雷でも直撃したのか?
結局ニャン娘からの連絡はその日を境に順調に途絶え、どうにも最近引越しをしたらしいのだが行方知れずのままである。今頃うちのタマはどこで細い目をしているのだろうか。 映画撮影用に100匹常備されていたチャトランみたいに代用猫が見つかるものでもないのだから。
今日も「仕方ないの、アタシが気ままなのは猫だから」と口癖を呟いてはそそくさと姿をくらますニャン娘たち。東京都が捕獲活動に乗り出すなら私にも召集令状を送ってほしい。

(2002年2月20日配信)

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