バックナンバー・練乳工場(2月下旬)


2月25日/イタリアではプロサッカーリーグにいましたよ。 チーム名?ベローチェ

最近一人暮らしを始めた友人のNに自炊しているかを問いたところ、
「してるよー。パン焼いて牛乳飲んでる」
それは健康的な話だ。しばらく談笑したまま会話を続け、別れの挨拶を交わした。
だが去り行くNの背中を見ながら突然疑念に駆られた。ちょっと待てと声をかけようとすると、明らかに後ろめたそうな空気が背中にたちこめて、Nは駆け足で逃げていく。爽やかな物言いに、うっかり小田急の急行が南林間駅を通過するところだった。
牛乳飲んでるのどこが自炊だというのだ。確かに「コーラ飲んでる」よりは何となく自炊感がある。でも「自分でコーラ作って飲んでる」奴の横に並んだら、自炊テイストに著しく欠ける。というか最初から牛乳飲むなんて自炊ではなくて、ただ飲んでる行為だけでしかない。
もしかすると、「牛の乳からダイレクトに牛乳を飲んでる」のかもしれない。ワイルドさで自炊の問題を有耶無耶にさせるつもりか。それもビリヤード台の上に牛を仰向けにさせて、もてあそぶように。牛も気持ちよさに目だけでなくて肌まで白黒させたりして。
どうやらNは追い込まれた恐怖からか、前座の落語家みたいなことまで口走り始めた。おろそしい男である。とにかく牛乳を飲むのなんて自炊として認められない。
だがこんなことに惑わされてはいけない。Nも真意は別のところにあるのだった。
そう。牛乳が自炊ではないことを討議させることで体力の消耗を狙い、その前の「パン焼いてる」をあたかも自炊のように演出しようという魂胆に違いなかった。
朝4時に起きて小麦を練るところから始めるなら、それは構わない。その練られた小麦の両端を持って俎板に打ち付けるたび、一本の麺が二本、二本の麺が四本となっていくなら、私が経営する蕎麦屋の屋号「長糞庵」を暖簾分けしてもいいくらいだ。
だがどう考えてもせいぜい山崎パン「芳醇」をトースターにぶち込み、バターナイフで「ごはんですよ」を塗りたくっているのが関の山だ。そんなことはない、とNは否定するかもしれない。俺が塗っているのはタミヤカラーのつや消しブラックだと。焼いていたのは厚いパンではなくてコンパクト将棋盤だと。
こんなに諦めの悪い男だとは思わなかった。自炊問題を棚にあげて、自分がいかにタフな男であるかを誇示する手段に変えてきた。
大体どこまでが自炊でどこまでが自炊ではないのか。この場を使って俺が線引きをする。
まずレトルトごはん。もういきなりダメだ。ハナから自炊といってるのに自分で炊いていない。持って生まれた名前が全否定。ブスなんだけど名前に「美」がついてるみたいな逆走感が全開している。
ではここで無洗米を許すかというと、これも許さない。炊くまでの禊ともいえる「研ぐ」行為を省略して、何が自炊か。これはいわばババアのくせに名前に「子」がついてるような背徳感にまみれていると言えよう。
薪をくべろ!水は指の関節で測れ!飯盒の中に蕎麦殻を入れても、窪みがジャストフィットする枕にはならないと知れ!これが本当の自炊だ。あと小学校5年で同級だった大沼、キャンプで各自持ち寄った米にモチゴメ入れるな、バカ!
また毎日お弁当作ってま〜すというのが売りの女の子の弁当箱を覗いたら、全部おかずが冷凍食品だったケースもある。朝に家を出る時に詰めたら、昼頃ちょうど解凍しているという寸法であろう。
そこまで偽って自分をよく見せたいのか、この生理不順野郎!こんな女は平気で乳パッドを使うに違いないから要注意だ!もしかすると「大きい乳首だなあ」と思っていたのは、ブラジャーの中に仕込まれた冷凍カニクリームコロッケかもしれないぞ!
ポカリスエットの粉末溶かして自炊を語るのも不許可だし、インスタントラーメンに卵落として勝ち誇った気分を満喫するのも認めない。得意料理がチャーハンと申告する女に至っては、既に正体が見切れている。そいつのフライパン上で跳ねる米が、俺には止まって見える。
俺が認める自炊とは調味料棚にパプリカが置いてあることでも、パスタをすくう拷問棒みたいな器具を持っていることではない。自炊とは、精神である。外食を羨望する嫉妬以外のなにものでもない。

2月20日/ドラムの「FILL IN」を「余計なことをする」と訳さない

編集部を訪ねると、担当のO女史が手招きしている。
「鈴木くんさ、昨日送ってもらった原稿あれでいいんだけど、書き直してほしいと ころあるのよ」
プリントアウトされた紙を手渡しされると、 「しかし逆の意見も聞かないでは片手落ちであろう」の箇所が赤ペンでチェ ックされている。
「駄目ですか?」
「当たり前でしょ」
「しかしですね、この片手落ちというのは片腕がもげている状態ではなくて、二刀 流の武士が片方の 刀を落とした状態を指しているんですよ。そのどこが差別用」
O女史はデスクの引き出しから山賊しか使わないような山刀を取り出し、俺の太股 に突き立てた。
「ぎゃあああああああ」
「そんな筒井康隆みたいな痛がり方したら誤魔化せると思ってんの?早く書き直し てよ」
「でもOさんの理屈には納得できません。じゃあ例えばここはどうなんですか」と 、俺は別箇所を指でなぞる。
「どこ?別にいいじゃない。「「夜中ぶっとおし頑張ります」と片山右京氏の言 い方は自信ありげで」。問題ないでしょ」
「ほら、「言い方は」ってありますよ。カタハって書いてあるじゃないですか」
「なに本間しげるみたいなギャグ言ってるのよ。これは「いい・カタワ」、グッド ・ハンディキャッパーだからいいの」
「そうなんですか?」
「そうそう、ついでにこっちも直しておきましょう」
と「ぶっとおし」に二本線を引いて潰すと、上に「グッド・唖」と訂正した。
「意味が違うとか、そういう問題を超越してるように思うんですけど」
「これもグッドだからいいの。でもこっちはダメ!」と、片山右京の字を黒く塗り つぶす。
「片に右よ!こんな差別的な名前載せられるはずないでしょ!書き直し!」
「書き直しって・・・人名なのに・・・」
「つべこべ言う前に、さっきのところはどうしたのよ」
O女史がヴィトンのポーチから砥石を出して中華包丁を磨き始めたので、俺は黙っ てペンを走らせた。 これでどうでしょう、と渡すとキューバ葉巻をくわえていた女史の顔がみるみる曇 っていく。
「なにこれ?「別の意見も聞かないでは片輪走行であろう」って」
「片手落ちが駄目だったから、これならいいかなと」
「あんたねえ、カタワは駄目だって言ったでしょ?」
「それ、カタリンって読むんですけど」
「そういう問題じゃないのよ!これ読んだら、こわれた車椅子の人、片車の片はど んな気持ちになると思う?」
「ダブルで方の字が間違ってますよ。それにそういう人は絶対に片輪走行してると は思えません」
女史の手元からきれいな直線を描いて、俺の眉間に鋼鉄のヨーヨーが飛んできた。 急所を躱すべく身を反らしたが間に合わず、 額から桜田門の印の形に血が噴き出した。
「口頭でいくつか言いなさいよ。そこから書き換える単語、私が選ぶから」
「片翼飛行、片肺呼吸、片乳首授乳、片顔アシュラマン、片頬宍戸錠、片鼻WAH AHAの梅垣、片腕元禄積み、 片やきそばと大根サラダ生二つでとりあえず、最終回のガンダム」
「どれも使えないわねえ。他にないの?」
「片カナとかどうですかね」
「ただの名詞じゃない」
「いやこれは、双子タレントのマナ・カナのマナが死んだ状態で片・カナなんです 。駄目ですか?じゃあ敵討ちとか」
「敵討ち?言うに事欠いてダジャレ?」
「違います。敵討ちではなくて、片・キムチ。朝鮮と韓国が足並みが揃っていない 状態をさします」
2週間後、店頭に並んだ雑誌には俺が寄稿した「爆笑問題田中物語」のルポは見つ からなかった。

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