バックナンバー・練乳工場(7月下旬)


7月30日/テレビ欄の「マジギレ」は本当に起きた試しがない

7月31日/スガシカオのやっつけ曲だけで作ったベストアルバム


銀座で用事を済ませた後、水道橋に寄る。 白山通りをしばらく歩いた雑居ビルの4階に「社団法人・投稿管理協会」はあった。 鞄にメモが入っているのを確認して扉を開けた。
この団体に関しては若干の説明が必要かもしれない。
大新聞の投稿欄には、必ず小さい枠組みの一口風刺コーナーみたいなものがある。 朝日新聞でいう「かたえくぼ」、読売でいう「USO放送局」だ。
まだイメージが湧かない人の為に参考に記述すると、たとえば7月26日の東京新聞「笑明灯」である。
「建設大臣」 掘れば掘るほど金が出る ーー庶民(岩井市・鶏声)
これこれ。この「庶民」というオチ。笑いを志した者なら一度はオチに使いたい単語だ。 世界のヒューモアの半分はここに存在するといっても過言ではないだろう。
私は一度この欄に掲載されてみたいと思って日々投稿しているが、 風刺の世界は奥が深いのか一度も掲載された試しが無い。
「三国人発言撤回」私は三黒人と言ったのだ。つまりスリー・ニガー。ーー石原都知事(大和市・ネオ麦畑)
やはり突出したセンスは認められないものなのか、私は随分気に病んだ。
だがネタより重大な欠陥があることを知人から指摘されて愕然とした。 この欄におけるペンネームは登録制になっているのを御存知だろうか?
(保谷市・やじろべえ)とか(あきるの市・影法師)だの、 この欄のペンネームはどれも似たような質感の単語ばかりが揃う。
そこであまりに重複が多いことが問題になったために、昭和50年代に新聞協会が母体となり、 全国紙5誌から管理委員を1名ずつ派遣し、前記の私が訪ねた団体が発足されていたのである。
この協会にペンネームを申請する。 それが末登録であることが確認されて初めてペンネームの取得が許可される。 完全に著作権と同じ権利がこの世界には存在しているのだった。
その段取りを踏まえない限り投稿作品が日の目を見ることはないことを知らず、 私は狂ったように葉書を送っていた。
前述ぐらいの高水準の作品でも採用が見送られたのは、 投稿名が未登録だったためだったことに全ての原因があったのである。
私は候補のペンネームをいくつかメモに書きとめ、管理協会を訪れた。
室内は年配の老人で予想以上にごった返していたので、 私は彼らを脇によせたりそっと注射で気持ちよくさせたりしてかきわけ、 目的の「新聞投稿課」までたどりついた。

デスクに平行に、つまり訪問者に横顔を見せる姿勢で受付の男はノートパソコンと対峙していた。
「ペンネーム申請ですか」
太い鼈甲フレームの眼鏡をした男が、おそろしく愛想のない声で応対する。 こちらを見ないで右手を差し出したので、私は事前にしたためておいた申請書を渡した。
鼈甲はそれを一瞥すると、「こりゃあ駄目だよ」と言う。
「駄目って何がですか」
「調べるまでもないね。全部登録済みだよ」
「そんな事ないでしょう」
「あなたの書いたね、第一候補の「風見鶏」。これなら一日一件は来るからね」
自信作が先を越されていることに少なからず動揺したが、私は平静を装って尋ねた。
「まあそれは重複するかなと思ってたけど、他は大丈夫でしょう」
「第二候補の「虚無僧」、うちの財団の初登録名だしね。それくらい調べて来なさいよ」
「「大吟醸」も?」
「全部登録してあるよ。「千年杉」も「寿限無」も「日付変更線」も」
「「天城越え」も「冬虫夏草」も「羅針盤」もですか?」
「「にがうり」も「メスシリンダー」も全部あるね」
まさか「メスシリンダー」まで登録されているとは。私は即興で乗り切るしかないと決意した。
「(狗)とかありますか?」
「なんで急に囲碁の観戦記になるんだね」
「じゃあ「チムポが化膿姉妹」とか」
「君ね、ここは中高生向けの深夜放送やってる訳じゃないんだ」
「これは叶と化膿をかけていまして」
「そんな事は聞いてない」
神経質そうな鼈甲の額に汗がうっすら浮かんでいるのが見えた。
「困ったな。シンプルに「たくみん」でも僕は構いませんよ」
「チャットしたいなら家でやり給え」
「いや、この「たくみん」の横には三日月マークと流星があしらってあるんです」
「だからそれがチャットなんだよッ。
それは「新聞投稿課」の仕事じゃない。「ハンドルネーム課」に行きなさい!」
頭の先から湯気を出した鼈甲はひしゃくを取り出し、 私を狙って水を撒きだしたので、私は両手を上げて「わーい」と叫びながら退散した。
万策は尽きたようだった。出直しを誓い、協会を後にした。
投稿の世界の奥深さより、ハンドルネームにも申請制があることに私は少なからず驚いている。


7月29日/オウ、ワイや。清春や。

中目黒に本間しげるのライブを見に行った。友人の森田は待ち合わせに50分遅れてきた。
本間さんのライブを見に行くのは約3年ぶりだった。 イッセー尾形氏の方法論で一人芝居を演じるのだが、そのギャグの構築、キャラクターの幅広さ、 コントとしてはイッセーさんを超えてしまっていると思う。
イッセーさんの芸も論じる必要がないくらい素晴らしいけど、あの人の演じる女性、若者、あとギターネタ。 誰か「ひどい」と言ってやるべきだ。 女性は「似ていない」。若者は「明らかに若者でない」。ギターネタは「弾きたいだけなら、家で弾けよ」と。
本間さんの最後から2番目に見たライブは渋谷BEAMホールの「売る魂」である。 手元に残るチラシには立川談志、ナンシー関、高田文夫、秋元康の錚々たるメンツが推薦文を書いている。 そのライブではキャラクターを緻密に演じることからさらに先に行ったネタ作りで、僕は見終わった後、 席から立てなかった。
その少し前に雑誌のインタビューで「今は笑いの方程式が出来ているんで、 そろそろ崩していくつもりです」と発言しているのを思い出した。 今までのスタイルに飽きているんだなと思った。先鋭的な笑いを志す人は常に自分のスタイルを否定して、 そこから崩れていく。不安な気がした。
TV露出も目立ち雑誌で取り上げられてブレイクを目の前にしていた本間さんは、 丁度そのライブを境に何らかの事情で急にメディアから姿を消した。 ゴールテープを目前にしたランナーが客席にダイブして、 そのまま大玉運びの要領でパスされて海に放り投げられたようだった。
1年に1回程度細々とライブをやっていたが平日で見に行けなかったのだが、 これから毎月舞台でネタをかけるという。本気であってほしいと願った。
足を運んだ中目黒の地下ホールは100人収容程度のせまい劇場で、ひんやりとした感じがする。
ライブは古いネタがほとんどで懐かしかった。新ネタはあまり面白くなかった。 見終わって、昔のように脱力して席から立てないとうこともなかった。 復活度は半分ぐらいで、まだ知り合いに薦められないと思った。
だがそんなのは些細な事で、本間さんが舞台に帰ってきたというのが重大な事実であり、 あとはしつこくライブに通って復活の瞬間を見届ければいいだけのことだ。 第一、せまい劇場は彼には似合わない。
もう一度書こう。みんな忘れないで聞いてほしい。森田は待ち合わせに50分遅れてきた。


7月27日/母を殴って自転車で逃げて新トライアスロン

狭いカウンターの隣に座った、そのカップルの会話を聞くつもりはなかった。
大体ラーメン屋に足を運ぶカップルなんてそれなりの交際期間と密度の中にいるので、 賞味期限の切れたおそろしくぬるい話題を再生産しているのが常だ。
しかしその時ラーメン屋においてあった雑誌が 「ヤングチャンピオン(別冊)」と「アサヒグラフ(宝塚特集)」で あったことに絶望した俺は、ラーメンを啜りながら横から聞こえる会話に何となく耳を傾けていた。
やはり話題は他人にはひどく退屈なサークルの友人の噂話である。
「山本いるじゃん」
「うん」
「あいつ大学親から金出してもらわないで奨学金とバイトで学費払ってんだって」
「そーなの」
どうも女の方はほとんど山本に興味はないらしく、気の無い返事をしていた。
「で、山本って実家で猫飼ってて」
「うそー。ちょっと好感度アップ」
動揺した俺は最後にとっておいた海苔を箸でずぶずぶと底に沈めてしまった。
この女は「奨学金とバイトで学費払う」より「実家で猫飼う」が好ましい回路になっている。
すごい猫好きだったとしても、飼っているのは「実家」。
好感度がアップしたとしても、そのボリュームは「ちょっと」。
きっとこんな女の評価基準は、
「介護のボランティア活動より、友達の父親がジャニーズの父親と同じ会社」
「ドナー登録より、実家が吉田元首相の別荘の近所」
「わんこそばチャンピオンより、リッキー・マーチン本人」に違いないのだ。
せつない。と分子レベルに分散した海苔を箸で再現していると、とどめの一言が聞こえた。
「でもアタシ、山本嫌い」
好感度アップした2秒後の株価大暴落。玄関開けたら2秒でブルーマンデー。
「ちょっと好感度アップ」がレベル2上昇なら、「でも嫌い」はレベル5くらい下降だろう。 トータルで山本レベル3ダウン。これなら山本は実家で猫飼わない方が良かったんじゃないかと思った。
アサヒグラフを読んで店を出た。ロンドン公演で男役トップが引退するらしい。 海苔は元に戻らなかった。


7月26日/乙女、パスタで撲殺

そのチラシを見て思い出したのは、数年前深夜に一度見ただけなのに忘れられないミュージッククリップだ。
作り手が舞台としてイメージしたのは、おそらく太陽が照りつけるアメリカの中西部、砂漠が続くハイウェイ。 しかしそれはあくまでもイメージであって、 安請け合いの映像の幕間からは宇都宮、前橋あたりの紫外線が強くて埃っぽい土地の臭いがしている。
そして画面に飛び込んでくるのは、車を知らない私でも「アメ車」と分かる獰猛な乗り物でハンドルを握る、 顔の面積と脂加減が村上龍を思わせる甲斐よしひろである。
おもむろに「ラブイズナンバーワン」を歌い出す甲斐。
「オーイエー、オーイエー、ラブイズナンバーワン。オーイエー、オーイエー、ラブイズナンバーワン」
これが曲の1番の歌詞。2番は、
「オーイエー、オーイエー、ラブイズナンバーワン。オーイエー、オーイエー、ラブイズナンバーワン」
世の中で一番はハルクホーガンでも「笑いが」でもなくラブだということを教えてくれる、 法華教を思わせるありがたい連呼が延々と続く。
そこにわらわらとどこからか安い外人女性モデルが十数名湧いて出てきて、踊り狂う。 今考えるとその中に元英国航空のルーシー・ブラックマンがいたように思えるが、気のせいだろうか。
炎天下に日本の郊外で、甲斐のオープンカーを囲んで外人が踊るシュールなその光景は、 世界の奇祭そのものだった。
このビデオは午後11時以前の放映が認められなかったので、 (テキサス州の中学生がこのビデオに衝撃を受けて銃で自殺する事件があった。 その時彼はジューダス・プリーストのCDを聴いていたという)目にした人は少ないかもしれない。
で、今私の手元にあるのは先日コンサートに行った際に渡されたパンフレットだ。
甲斐よしひろソロツアー。
サブタイトルは「甲斐は歌っているか。甲斐は語っているか」
ツアータイトルは、
「マイ・ネーム・イズ・カイ」
もう一度書こう。
「マイ・ネーム・イズ・カイ」
それを見た時、私の脳裏に「球種がストレートしかない投手が投げたストレート」という言葉が浮かんだ。
今見たらチケット代が1万円もする。 珠玉のモノマネメドレーや芸能界マル秘裏トークが聞けてディナーまでつくと考えれば安いかもしれない。
ついでに甲斐さんの新曲は「甘いkissをしようぜ/悲しき愛奴(サーファー)」らしい。 愛奴。サーファー。どこでどうして。何をどうすれば。
それを聞いた時、私の脳裏に浮かんだ言葉は「球種がストレートしかない投手が投げたカーブ」だった。


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