あまり公にしていないが、私は別名で文芸評論家としての活動もしている。 現在の文芸評論界は私以外はクズと言ってもまったく差し支えない。 ネット書店設立、ウェブ上での小説連載といった膨大な活字の情報量に、 書評家の読書量がまったく追いついていないことに全ては起因している。 そこで私は本の装丁、タイトル、帯のみでその本を裁定する「読まない書評」という 新しいジャンルを開拓するに至った。 この試みは私の旧友である福田和也くん(童貞面)も支持してくれて、 彼も「作家の値打ち」(飛鳥新社)で、著者とメシを食べに行った回数、 接待麻雀で振り込んでくれた役のデカさ、お中元の容量(肥満児は質を問わない)のみを基準に 作品を評価する大胆な書評を展開している。 今回は私の2000年上半期書評の一部を掲載しよう。
まず表紙において、作者の柳がTIMばりの「命」ポーズを取っている事に いきなり魂を鷲掴みにされた気分になる。 それでいて顔は例のソフトサラダを思わせる塩せんべいフェイスを保っているところに、 伊達に多くの修羅場をくぐってきたのではないことが窺える。 中身は難しい漢字が多そうでとても読む気にはならないが、 どこかのゴシップ誌が父親を公表する暴挙に出ないか心待ちにしている。
この本は実は未読ではないことをお詫びしたい。 私の近所の久美堂書店では、その本のサイズ、内容からヤンマガの単行本だと勘違いして、 コミックスのコーナーに平詰みにしてあった。 それを手に取った私も3分の2を読み終わるまで、 この本がマンガではなくて小説であることに気がつかなかったのである。 惚れたはれたが行動原理の9割である登場人物、スラム街の無免許医を父に持ったことで手術をこなす中学生もすごいが、 女性の学級委員長が「三つ編み」である描写は白眉である。 次回作では「オッチョコチョイの主人公が服を脱いだらデベソ」のシーンを期待したい。 高校生が文芸クラブの時間に書きなぐった作品にしては、完成度が高い。 本も無意味にぶ厚いのでメンコに使えば連戦連勝だ。200冊ばかり購入すれば煉瓦の家が建てられるかもしれない。
サブタイトルは「全ての男は消耗品であるvol.8」。 邦題は「ラブ&ポップ・3」。 ここ数年、太陽とシスコムーンのシングルなみに精力的に作品を発表している村上龍の話題作である。 この話題性、最近では「長崎オランダ村」「オーディション」に肩を並べる傑作に違いない。 読了した友人は「利き腕を間違えて書いたのでは?」と思ったらしいが、失礼な話だ。 村上龍はマックのパワーブック派である。多分ローマ字入力が分からなかったのだろう。 昔に彼は「キューバの音楽以外の音楽は、くそだ。絶望している」と書いていたが、 月刊カドカワのミスチル特集には「息子が聞いてます。ロックのスピリットを感じるよネ」と誉めていた。 こんな優しい龍さんが書く本がつまらない訳はない。 薄いので鍋敷きとしても最適。 |
「・・・いや、僕の聞く音楽は鈴木さん知らないでしょう・・・」 と田辺さん(仮名)は俯きがちに酒を傾ける。 メーカーの仕事で東北某所に出張していた俺は、 2歳年上である取引先の百貨店のマネージャーとバイトの女子高生と飲んでいた。 未成年の女子高生が呷っているのはにごり酒ではないだろう。多分、精液だ。 マネージャーの田辺さんのニヒルぶりが以前から気になっていた俺は、珍しく自分から酒宴に誘った。 やがて話も詰まってきて、田辺さんはどんな音楽聞くんですかと水を向けると、冒頭の言葉を呟いた。 「そんなマイナーなんですかね?」 「・・・うん、このあたりだと聞いてる人いないよね・・・というかさ、知ってる 人がいないしね・・・」 語尾に向けて声がか細くなるのは、活字化すると右にどんどん小さくなって、 ガリバートンネルを通過しているようである。 「どんなの聞いてるんですか。まあ名前だけでも」 「・・・知らないと思うな・・・レイジとかね・・・」 レイジ。文脈からすると売れっ子ホストではないだろう。俺は名前だけ知っていたバンド名を口にしてみた。 「レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンですか?」 田辺さんの掌から冷酒がなみなみと注がれた器が滑り落ちる。 スローモーションでカウンターに落ちて猪口が割れた高い音と対称的に、田辺さんは低く呟いた。 「・・・鈴木さん、あなた、ヤバい人だ・・・」 どうもバンドを知ってただけで、田辺さんの中で俺は二階級特進したらしかった。 彼は90年代初頭に流行した、俺にもさっぱり区別がつかないがグランジやオルタネイティブ、 ポンチャックとかデジタルロックといった類の頽廃的なロックの虜であることが窺えた。 「・・・まさか、鈴木さんも聞くんじゃないでしょうね?」 「はい?うん、やっぱりあれでしょう。ニルヴァーナにはちょっと狂ったというか」 当然ながら俺にとってのニルヴァーナとは「赤ん坊が泳いでいるジャケット」以外に知識はない。 とりあえず知ってる単語を並べてみる。 「90年代はカート・コバーン。彼が死んでグランジは死にましたね。 hide博物館は横須賀にありますからね、僕も神奈川県民ですし」 「・・・鈴木さん、あなたはますます恐ろしい・・・」 丁度酔いが回ってきたらしかった。 その後は上機嫌の田辺さんが自身が愛した洋楽遍歴を熱く語り、 同士の少なさ、東北の音楽マーケットの脆弱さを嘆いた。 俺がうわべの単語を並べると、彼が誉め言葉である「ヤバい」を連呼し、 女子高生に「レイディオ・ヘッドの「ベンズ」。あの絶叫はヤバいから聞け」と説教を始めたかと思うと、 話が代わって彼女が昔お見合いパブに通っていた過去を聞いて、俺と田辺さんは 「それはヤバい」と口を揃えた。 1ヶ月後。俺が店を訪れると田辺さんはその間にバイトの女子高生とつきあい出していた。 驚く俺に向かって田辺さんは、最近はその子から音楽を薦められて聞いてると低いトーンで告白した。 「・・・鈴木さんね、浜崎あゆみ、いいッスよ・・・」 仕事を終えて店を出た俺は、吹きすさぶ東北の風に凍えながら飛行場へ向かった。 自殺したカート・コバーンが何に絶望したのか、少し分かった気がした。 |
最近の新聞や雑誌を見て思うのは、外来語やカタカナ文字が氾濫しているということである。
私は有名ブランドのバッグをいくつも持っていて、時には月給に相当するバッグを購入することもあった。
アメリカの一部の学者が、原爆が落ちたことにより戦争終結が早まり、
戦死者の抑止になったという学説を発表しているニュースを見ました。
私はこれを広島の被爆者の関係者の方が見たらどう思うかと想像すると胸が痛みました。 |
音楽は時に全てを破綻させる。 古いビデオを整理していたら、12年ぐらい前の「おっとっと」という深夜番組の録画が出てきた。 内容はおでんを描かせたら日本一の画家、片岡鶴太郎画伯が故郷探訪するものである。 何故こんな録画が残っているのか?という疑問に関しては、 その後に人生において一度も興味を示した事がない日本柔道選手権の録画があったことを考えれば、大した問題ではない。 当時の画伯は鶴太郎史における「プッツン5時代」。 昭和史でいうところの、ひめゆりとかバンザイクリフにあたる飛び出せ!抹殺時代に相当する。 にもかかわらず画伯はカメラに向かって肉付きのいい巨顔をアップに白目を剥き、 当時のフェイバリッド・ホールドであろう「ハイホ〜」を連呼して、絶好調きわまりない。 常磐線の三河島駅を降りた画伯は少年時代を過ごした町を練り歩く。 当時は現在のトレードマークであるベレー帽に片手にパレット姿ではない。 するとそこに待機していた旧友が「お、鶴ちゃんじゃないか!」と 「タモリ倶楽部」のオープニングさながらに絡んでいき、出身中学に向かい同窓会を行う段取りになっている。 ありがちな企画だが煤けたような下町の雰囲気と、当時はヨゴレで(画面から漂うオーラはダチョウの上島そっくりだ) 駆け出しだった画伯が暖かく歓迎される絵は、なかなか悪くない。 そして同窓生が教室で昔話に花を咲かせているところに、 画伯の恩師(なぜか美術教師ではなく数学教師)が登場する。 再会に少し目を潤ませる画伯。この映像も過剰な演技が感じられず、見ている者の心を和ませる。 何か記念に。立ち上がる画伯。何か記念に・・・そうだ、僕今度新曲出すんで歌わせてください。 画伯は情感をこめて、目を閉じて歌い出す。 その曲は、「IEKI吐くまで」。 テレビの前で私は両目を細長い×にして後ろに倒れてしまった。 起き上がって画面に目をやると、同窓生はうっとりと画伯の歌を聞いていた。秋元康作詞とも知らずに。
もしくは先日見た「ココリコA級伝説」である。 |
車は福島に入っての最初のパーキングエリアに停まり、僕と友人は尻を押えながらよろよろと降りた。 ゴールデンウィークの初日に朝4時に待ち合わせて出発し、今頃は東北道を北に驀進している予定だったのだが、 いきなり西川口インターから朝の5時から渋滞していた。 料金所がドル立てでもないのにこれだけ混む現実に僕は愕然としていた。 運転は友人にまかせきりだったので、そろそろ代わろうかと二の腕を覆う黒の革手袋をはめると、 「いや、いいんだ」と断わられた。 もしかして友人は僕のライセンスがオートマチック限定、もしくは限界オートマチック・ラブであるので、 用途は未だによく分からないがクラッチというお飾りを使えないと判断したのだろうか? 正直心外だった。ギターのFが押えられるこの僕が、 あの何だ電流の通っていないイライラ棒みたいなやつを扱えないわけがないだろう。 僕は友人をボコボコにしてやろうと決意し、車を降りた瞬間、 「運転ご苦労さん。何か飲むかい?」 とペイパーバック小説に出てくる魅力的な脇役のような科白と笑顔を湛えて、自動販売機までダッシュした。 5時間以上は乗っていただろうか。当然運転しているよりも助手席の方が、眠ったり、スケベな事を妄想したり、 二度寝したり、さっき考えた妄想をダイジェストで反芻したりで、疲労も大きい。 滋養強壮剤の「かき麻呂」はとても販売していそうにないので、 野菜ジュースあたりで手を打とうと思った途端、タカラの自動販売機が目に入った。 バービカンが売っていた。 なんてこった!バービカンだってーー!?やつはここにいるはずがない。 ああ、そうとも!15年前にいなくなったはずなのだから・・・!! と、スティーブン・キング風に大袈裟に驚愕してみた。 バービカンとは10年以上昔だろうか、タカラから発売したノンアルコールビールである。 当時中学生だった僕らは合法的にビールが飲めるということでいささか興奮したが、 口にするとそれほどおいしくなかった。今考えるとノン炭酸コーラを飲むようなものだ。 やがて短命に姿を消していったその飲料が、今目の前にある。 よく見れば自動販売機の缶の8枠のうち、5枠も占拠している。このプッシュぶりはどういうことであろうか。 さらに缶には「ノンカロリー」と堂々表示されていて、値段はなんと180円もする。 くらくらした。通りかかりのマスタングのボンネットに香港映画さながらダイブした。 よく考えてほしい。発泡酒より高いビールで、カロリーもアルコールもない飲料である。 飲む価値ないだろう、どう考えても。金を払って飲む必要があるとは思えない。こんなものを誰が買うのか? すると横にいた家族連れの親父が硬貨を投入し、バービカンのボタンを押した。 目を大きく開いて驚きを禁じ得ない僕をよそに、親父はバービカンを手にした。 しかし表示を見て「ああ、これは完全無欠に意味のない飲み物だ」と判断したらしい。 何のためらいもなく、プルトップを全く開けず横の缶ゴミ入れにブチ込んでいた。 結論。高速道路を走る新しいフォルムのビートルは、バックしながら爆走しているように見えて、とても笑える。 |
こんにちは、辺見庸です。 8月2日発売のダカーポ「思想としての美女」に私の原稿が掲載されている。 しかもリリーフランキー氏の似顔絵つきで。 マガジンハウスさん、ありがとうございます。次は「頓智」に書かせてください。 今回の原稿テーマは「日焼けと美女」だったのだが、頼まれもしないのに私は2本書いて送った。 まるで給食を二人分食べることによって好きな女子の気を引こうという努力&荒野だ。 もう一つの原稿の方が採用されると思っていたが、ギャグの詰め込みすぎで破綻していた感は拭えない。 日の目を見ないのも悲しいので以下の「練乳工場」で公開して供養したい。 オチの強引さは、大学の小論文試験にも通用するので参考にしてほしいと思う。
「坊っちゃん」に出てくるマドンナは日傘をさしていなかった。
以上。 |
本当にチャゲ&飛鳥を聞いているやつがいるのか、
常に疑問であったが最近母親がファンだという女性を見つけた。 しかし年齢からすると「万里の河」あたりの、飛鳥斜め前傾姿勢で過剰に熱唱前夜のファンと推測される。 「YAH!YAH!YAH!」以降にファンになった人がいたら早目に私宛てに自首していただきたい。 同様に渡辺美里西武球場コンサートが不思議でしょうがない。 昔はともかく今わざわざ行く奴がいるのだろうか?仮にもスタジアムのキャパである。 外野席限定とか、ブルペン公開握手会なら分かるが、 どうやら球場をフルに使っているらしいという風説が私の元まで届いている。 セゾングループ株主総会の余興の一環ではないだろうか? それにしても私は渡辺美里の音楽は全く聞かずに育ったが、10年前の彼女はかなりメジャーな存在だった。 今の女性シンガーでいうと宇多田ヒカル未満、キッスの世界以上。 参考にならないなら、来年の椎名林檎程度の人気と考えてもらいたい。 ごく普通に聞かれていて、アルバムが出たらそこそこ周囲でも購入者を見かける歌手だったのである。 そして現在。先々月の夕刊フジの記事を読んでみよう。
毎年、西武ドームでコンサートを行うなどスポーツ好きの歌手、渡辺美里(34)が
19日発売の新アルバム「Love Go Go」に、野球の実況中継を盛り込んだ異色作を収録した。
どこで磁場が狂ってしまったのだろうか?「ホームラン・ラン・ラン」である。
「郁恵の料理バン・バン・バン」か「時空戦隊サン・バル・カン」のどちらからかの影響はさすがに隠せない。 |
「電波少年」を見ていたら、ダウンタウンの松本がアメリカ人を笑わすという企画で渡米していた。 まず一人の人物を訪ねたいということで、小さい一軒家のドアを叩くと女性が登場して画面が静止する。 「野沢直子」のテロップが出るまで、私はその女性をTAMAYOだと信じて疑わなかった。 日本人が単身乗り込んで毛唐・ザ・グレートどもを笑かす。そんなアメリカンドリームを体現したのは、 私の知っている限り吉田栄作とTAMAYOしかいない。 しかしこうしてTAMAYOと書くと、 ラルク&シェルか何かにいそうな名前だ。 そこで今回はTAMAYOの偉業を確認しようではないか。 手元にある1994年出版のTAMAYO著「コメディ+LOVE」を紐解こう。 この本は最寄りのブックオフの100円コーナーに行けば、 山田邦子「あっかんべーぜ」、大森うたえもん「例ダース」と同じ確立で入手できる。 この本に関しては万引きしているのを店員に見つかってもお咎めがないのも、魅力のひとつだ。 さて内容はTAMAYOの抱腹絶倒ジョークの間に日本文化論がはさまっているという、 洗ってないケツに固いウンコがはさまっているのを喚起せずにはいられない構成になっている。 文化論の是非はホワイトマッチ棒・筑紫哲也にまかせるとして、ジョークを見てみよう。
TAMAYO / 日本にも雑誌のプレーボーイってあるんよ。 念のために断わっておくが、私は一切の脚色はしていない。次。
TAMAYO/ミツビシがロックフェラービルを買ったよね。
だそうである。最後の客のリアクションは何だと考える気力も喪失させてくれるのは、
「癒し系」の先駆的存在と言えよう。今マシンが「賤し刑」と変換したが、何も言うまい。 |