バックナンバー・練乳工場(7月上旬)


7月13日/イ・遅漏なのにレイザービームとはこれ如何に?

英語の語源は日本語であるというのは言語学界では根強い定説になっている。たとえば「battle」はもともと「場採る」の意味であるし、「black」は「部落」そのものだ。
私はここに「プラチナ」の語源は「ブラチラ」であると主張したい。そう、鎧のように固められた女性の冬服からこぼれた一瞬の木漏れ日ライト。あのまぶしいほどの歓喜が宝石の名前に転じたと考えるののは、至極道理であろう。
思えば性のベクトルがどこに向いているかすら不確かだった小学生の頃、「日直?」と思うほどクラスにごくわずかしか存在しないブラジャー少女は神秘そのものであった。その羽衣の隙間に白い稲妻が走ろうものなら、
ヤッホ(ヤホホホ)
今日は(きょうは)
トリンプだよ(トリンプだよ)
と「山賊の詩(うた)」を大輪唱。B'zの稲葉予備軍である半ズボンキッズたちの股座についたウルトラソウルは、即イージーカム・イージーゴーであった。ちなみに稲葉のソロアルバムのタイトルは「マグマ」である。
「マグマ」って!本気かよ!
海のように広がるTシャツの背中に赤道が透けているのを確認した瞬間、脇の下の荒野を走る白いレイザービームが見えた刹那、対面で屈んだ状態から丘陵の逆さ絵が拝めた世紀、ヨーロッパ「ファイナル・カウントダウン」のキーボードがどこからか聞こえてきた時代だったものだ。
しかし、である。賢明なあなたなら気がついているかもしれない。「ブラチラ」の大恐慌が始まっていることを。
今、街には「見られることを前提とした」下着女郎どもが氾濫し始めている。肩を剥き出しにした服には下着と服のストラップが複線化して、どちらがガチンコでどちらがギミックなのか判別に困難を極める。赤の線、黒の線、どちらを切れば爆発するの? そんな彼女たちの言い分は、こうである。
「今、下着も魅せる感覚だから全然恥ずかしくないヨ!ダブルピース!(デジカメ現像した写真にふちどりマーカーで記す)」
そうだよね。「JJ」の表紙に川俣軍司のブリーフ姿なんてVIVA!80年代ってカンジDA・YO・NE!
わきゃあねえだろ肥大化めしべども! 恥ずかしくない下着なんかこの世に存在しねえんだ! チビTの下にランニング着て下半身まるだしでセンター街歩けるか!? 恥ずかしいだろ? 頼むから恥ずかしいって言ってくれよ!この通りだ!
この際百マイリ後退して、魅せたがってる女を不問に処したとしよう。しかし奴らが台頭したせいで、「見せる気はないんだけど、たまたま下着が顕わになってしまった」真性ブラチラの興奮が確実に薄まりつつあるのである。あの「うおー見えた見えたよ!激写!キクぜ2!」の恍惚が訪れる前に、「もしかして見られても構わない囮を目撃しただけなのでは?」と疑心暗鬼に囚われてしまう寸法だ。
カニカマ登場後、蟹肉の権威は凋落した。「TOKYO1週間」創刊後、トーキョーウォーカーの部数は落ちた。栗田貫一の吹き替え後、山田康夫の評価は逆に上がった。イミテーションの市場公開が、本家の評価益を損失させているのが私には許せない。
この事態を収拾するには、見せる意思表示をはっきりさせるべきだ。今大流行の飲みすぎシールのように「魅せたガール・バッジ」を鎖骨に直接埋め込めば話は早い。
しかしそんなことはお洒落淑女たちの反発を招くのは自明であるから、一挙にワンステージ格上げを狙うのである。
つまり国会で「下着はいやらしくないの」法案を満場スタンディングオベーションで可決すればよい。過激を志向するマダム・ロワイヤルたちは、下着を強調することの行き場を簡単に失ってしまう。
その時、ぱいおつアカデミーたちはどんな行動に出るか? ああ私には田島寧子の芸能生活のように手に取るように分かるよ。つまり全身コンサバだけど乳首と股間の部分だけ刳りぬいた、なんか、すごいおさがりみたいなファッションに身を固めるに違いないのだ! そうなるべく操られているのも知らずに! 愚か者たちめ!愉快だぜ!おいら、猛烈に愉快だよ!
今あんまり暑いので近所のガストにノートパソコンを持ち込んでこの文章を書いていたが、店員に見られそうになって「ぱいおつアカデミー」の前に書いた「雌尻(メスシリ)ンダー」をあわてて消してしまった。
27歳。夏。平日。外では灼熱の光線の中、営業のサラリーマンが汗を拭って歩いている。

7月6日/ユーラシア大陸トロリーバス縦断

物語の彼岸は存在する。

卒業式を翌日に控えた3月某日。式の予行練習までぽっかりと一時間空いてしまうと、準備に追われる教師が姿を消し、中学生たちは思い思いのグループで固まってお喋りに興じていた。
教室には澱んだ空気が漂う。中学時代と書いただけで2年間封印されていた靴箱を空けるような饐えた臭いがするのに、それが「感極まって泣いたらレイプすら恩赦」になると不良たちが本気で信じている卒業式が迫っていれば、なおさらカビ臭いのは当然である。
存在自体が発酵して精液に善玉菌すら混じっている男子中学生の当時の話題は、おニャン子クラブ、とんねるず、「三宅裕司のヤングパラダイス」に尽きた。これは現代でいうならば、モーニング娘。、やるせなす、「大沢悠里のゆうゆうワイド」に当てはまるだろう。
教室の隅で「時計はアナログかデジタルか」という不毛な論争に参加するふりをしながら、僕の視線は一人の少女を追っていた。
その少女も何人かの仲間と固まって嬌声をあげている。この位置からは確認できないが、あの盛り上がり方は紡木たくのマンガの話題か、猪鹿蝶が揃って親が総取りしたか、どちらかであろうと推測した。
明日の卒業式ではバタバタしてしまうだろう。そう考えると、やはり渡すチャンスは今日しかない。
借りた本を返すだけの話ではあった。しかし異性と会話した記憶もおぼろげな地方男子中学生にとって、「異性から物を借りる行為」も、「それを返す行為」もそれだけで甘酸っぱい仕事に違いない。
「クラスで一番可愛い松井さんに、「車輪の下」を返す」
「勉強が出来て学区外に行ってしまう知的な岩崎さんに、谷川俊太郎詩集を返す」
ここにはたとえ恋愛感情がなくても、ドラマがある。センチメンタルがある。ウチの女房にはヒゲがある。しかし僕がこれからしなければいけないのは、
「明らかに不美人である五味渕に、赤川次郎「死者の学園祭」を返す」
何とかしてほしい。なんで借りてしまったのか、赤川次郎。しかもあんなに読みやすいのに、借りて半年、未読のままである。それに不美人で五味渕って出来すぎた名前はどうなんだ。
多感な僕は機を窺いながら、考えていた。別にやましいことは何もしていないが、なるべく人目は避けたい。というか神様がもう少し勇気をくれるならば、本を捨てたい。しかし不美人には邪悪な磁力が宿るようで、いくら待っても五味渕の周囲からは人は減らなかった。
あきらめた僕は青い背表紙の角川文庫を鞄から取り出すと。固い足取りで五味渕の元に歩み寄った。女子の集団が、おやという顔で僕を見る。
「五味渕さんさあ」僕は文庫本を差し出した。「これ、借りてたから返そうと思って」
ほとんど交流のない女子スクラム陣の中に、冴えない男子中学生がラグビーボールの代わりにでかいドングリを抱えて突進する勇気。掌が汗で湿っていた。
「え? 貸してないけど」
意外な解答だった。だが確実に僕は彼女から借りていたのである。
「はい? いや、間違いなく君から借りたんだけど」
変な照れでもあるのか、と思い僕は五味渕の顔を見た。彼女は厚い唇を半開きにして、藪睨みで回想してた。
明らかにこの女、忘れてやがる。
待て。これでは周囲の女には「卒業式を前にして浮ついた鈴木が、好きな女と喋るきっかけ欲しさに嘘をついて玉砕した」みたいではないか。よりによって五味渕。よりによって、その手段が赤川次郎。
それはまずい、と弁明しようとした途端、
「ううん・・・本当に私のじゃないから・・・ごめんなさい」
と五味渕が吐いたヒロイン気取りの言葉の先手を打たれ、僕は口を噤んだ。
「・・・本当に、ごめんなさい」
なんだその科白? 五味渕は自分の科白に酔っていた。僕も船首から身を突き出して嘔吐したい種類の酔いを覚えていた。

不美人に借りて返却しそこねた赤川次郎の文庫本。そこには物語の欠片もない。


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