バックナンバー・練乳工場(10月〜)


11月28日/続・狼たちへの伝言ダイヤル

「そういえば鈴木さんと連絡取りたいという人から電話がありましてね」
電話口で「女子アナ鑑賞案内」の担当編集者Oさんは声をひそめた。
本が刊行されてから1ヶ月も経つ。巻末でHPを公開しているのに、あれから俺の元に仕事依頼のメール、5年前に送信されたボトムメール、ラブレターフロムカナダは一通も届かなかった。ウイルスには2回も感染しているのにどういうことだと訝しんではいたのである。これはいよいよか。どこかのミニコミ誌でもありがたい話ではある。俺は冷静に尋ねた。
「本当ですかあ。どこからでしょう」
「週刊G代なんですけどね」
週!刊!G!ためてぇーD!Y!(ジョーダンズによる海援隊「JODAN」をイメージしながら)
ビッグネームじゃないか!
「この携帯番号にかけてほしいって言われたんで。090・・・・。まあ後はよろしくお願いします」
額の割れ目から潮を吹いた俺は携帯を落としてフローリングの上で果てていた。気力をしぼって携帯を手に取る。
「えーもしもし私ライターの鈴木と申しますが」
「お電話お待ちしておりました。私、週刊GDの家裁と申します。いやー鈴木さん、あなたの本を拝見しまして、これはすごいと。椎名桜子を超えたなと」
「恐縮です」
「渡辺満里菜のエッセイを超えたと。レコード屋の手書きリコメンドPOPも超えたと。なか卯の店先にある黒板のメッセージを超えたと!」
「実に恐縮です」
「是非連載をお願いしたい!柳沢きみをの連載も大橋巨泉の連載も撤収!ついでにSPA!の辻仁成の連載も中止!表紙も4週連続あなたでお願いしたい!」
「マンモス恐縮です!」
という展開を期待しながらダイヤルした。短いコールで相手が出る。
「えーもしもし私ライターの鈴木と申しますが」
「お電話お待ちしておりました。私、週刊GDの家裁と申します。いやー鈴木さん、あなたの文章を拝見しまして」
「マンモス西・恐縮です」
「是非コメントをお伺いしたいなと」
「コメント?」
察した。よく考えると週刊GDに俺が寄稿するようなページは全くないではないか。女子アナのゴシップ記事が多いGDが、「女子アナ鑑賞案内」の作者に総括コメントを求めたとしても不思議ではない。
「まあ僕に出来ることであれば結構ですけど・・・」
「ありがとうございます。あの本で内田恭子の原稿を書いたのは鈴木さんですよね?」
「内田恭子ですか? いや・・・それは僕ではなくて・・・伊達くんじゃないかな・・・あのダジャレしか書いてない原稿の・・・」
「それは失礼! 柴田倫代アナを書いたのが鈴木さんでしたよね?」
「それも確か・・・伊達くんだったような・・・佐分(さぶり)アナ原稿の締めが「サブ(ボ)りま〜す!」という今世紀最も衝撃的だったオチを書いた・・・」
「失敬!失敬!私、週刊GDの家裁、これは失敬しました!それでは私、週刊GDの家裁、伊達様に連絡したいと思います!」
電話は切れた。
俺は打ち合わせの日程を考えようと開いたスケジュール帳を握り締めたまま、冷たいワンルームの箱の中10分間無言で座っていた。よろよろと立ち上がり、本棚からK談社の本を全部抜き出し、ベランダから放り投げた。誤解のないように書いておくが、今度週刊ガンダムから「モー娘。(モビルスーツに乗り損ねた娘=フラウボウ)」のコメント聞かれたって絶対答えてやらねえ。

11月6日/泥をかけあう泥レス優勝祝賀会

TAKUMIX・その世界


10月29日/DJ、ライディーンをお願い。ピコピコしてない方の

極論すれば芸能界とはつまり椅子取りゲームである。あらゆるジャンルの椅子は最初から数が決められていて、それを奪いあう勝負なのだ。
たとえば野沢直子がアメリカに渡っていなければ、久本雅美は今の地位を獲得できていただろうか? そう、「メインを張れる女性コメディアン」の座は一つしかないのだ。
同様に「ブスデュオ」の椅子も一つしかない。コンビだから正確には二つなのだが、アムネスティも「ブスの人権は二人で一人前」と国際規定しているから特に問題はないだろう。今がっしりと席をキープしている0930の前は花×花。花vs花の前はkiroro。ピロロ菌の前はアナム&マキ。アナル浣腸麻痺の前は・・・ときりがない。でもこの椅子だけ電源スイッチがあって、配線がつながっているのは何故だろう?
これから導かれる結論は「名称の椅子」も一つであるべきということだ。過去を振り返れば、クラスで同じ渾名の者は二人は存在しない暗黙のルールがなかっただろうか? 現に中学時代、運動神経万能でリレーのアンカーを務め髪もサラサラという、クラスの嫌われ者だった鈴木誠二は「鈴木くん」と慣れなれしい蔑視の塊な名称で呼ばれていたが、銀縁の眼鏡をかけて天然パーマで趣味といえばAMラジオ鑑賞という、女の子から慕われまくっていた私は「鈴木っていう人」と一目置いたニックネームを獲得していた。
そこで芸能界における「ハマちゃん」の椅子には誰が座るべきなのかを考えよう。
今、芸能人でハマちゃんと聞いて真っ先に浮かぶのは、レギュラー番組多数、コンビながら単独での活動も目立ち、もっとも適確なツッコミをする男・釣りバカ日誌の浜崎伝助であろう。レギュラー番組はテレ東の「とびだせ!釣り仲間」、コンビの相方はスーさん、適確なツッコミとは体をくねらせながらの「だから嫌だって言ったんだもんな〜」である。
しかしそれは我々の世代の一方的な意見であって、女子高生にとってハマちゃんと言えば一も二もなく浜崎あゆみのこと。本人自身が「ハマちゃんはねー」と自称しているのだから、これはもう間違いない。女子高生が「あゆ」と言っているのは、推理小説家の鮎川哲也のことだから誤解しないように。
また椅子取りゲームに参戦が決定している人物としてMCハマーも挙げられる。自ら「俺がハマーだ」のドラマ制作に励み、ライブのダンスタイムでは「ハマチャン!」の絶叫でアピールして、海外からハマちゃんの座を虎視眈々と狙う男。その意気込みを無視しては手酷い目にあうだろう。
さらに政治界から芸能界に転進を図るハマちゃんとして、ハマコーがいる。代議士であるのにもかかわらず本名よりもハマちゃんの名称が先行しているハマコー。「永田町のヤジ将軍・ハマちゃん」として恐れられているハマコー。芸能界ハマちゃんの座はこの四人に絞られたと言っても過言ではない。
他にも芸能界における「リーダー」の座(コント赤信号の渡辺・TOKIOの城島・ユニコーンの西川くん)、「おにいちゃん」の座(若のフラワー・藤井フミアート・元アラジンの高原兄)、「なんちゃら伊東」の座(エスパー伊東、ベンジャミン伊東、巨人のサ・伊東)と、戦いを挙げれば枚挙にいとまがない。早く実際に椅子を使って、公式に誰が名乗るべきかを決定すべきだと私は進言したい。
さてハマちゃんの椅子には、お笑いの最先端にいる関西芸人のあの人が座ることが決定した。
そう、その名前は、海原お浜・小浜。だってハマが二つもついているんだもん。誰にでも分かるように説明すると、海原やすよ・とも子の祖母が組んでいたコンビである。でも彼女たちはブスデュオの座も狙っているから、油断はしてはいけない。

10月26日/バジル。和訳すると青のり

聞いてはいけない一言というものがある。
前夜に飲んだ酒が残って毛穴という毛穴からポワゾンが蒸発していく翌朝。俺は泊まらせてもらった友人宅でゴロゴロしていた。
朝が早いのでコンビニで買ったパンで朝食を済ませ新聞に目を通していると、えひめ丸が陸揚げされるようなぬっさりとしたテンションで友人のMが布団から起きあがった。
仕事のストレスを大食でしのぐあまり、最近は見るたびに肥えていくM。昨晩の飲みでも油ものばかり注文するので、マヨネーズがついた若鶏の唐揚げを咀嚼していると体が膨れていく様を肉眼で確認できたほどだ。もちろん寝起きの第一声は「朝メシどうする?」だった。
さっき食べたからいいやと断ると、Mはキッチンに赴いて電子レンジ用ごはんを素早く暖め、冷蔵庫から取り出した鮭フレーク缶詰をふりかけ、もごもご食べ出した。そして呟いた一言が、
「ムフー千尋も食べなよブヒー」
豚に変わっていく両親を尻目に千尋はソープランドに身売りされ・・・違う違う、あまりにもMの顔のフォルムが「千と千尋の神隠し」チックだったので間違えてしまった。Mは箸を置いて、満足そうに呟いたのだった。
「ムフフフー、極楽、極楽」
炊きたてのごはんに雲丹の瓶詰めレベルであったなら、その言葉も許そう。しかし電子レンジごはんに鮭フレークである。どれだけ低い天界に存在する極楽なのだろうか。海抜表記が可能で高さの標の横には石が積まれているような低さ。缶ジュースだって150円で買えるに違いない。それ以来、Mの人間としての評価は光通信の株式なみに暴落して、現在は底値を記録している。
とはいえこの一言にはどこか明るさが残っていて、今思えばまだ救いがあった。それを上回るエレジー全開の聞くべきではない言葉もある。
その時俺はスーパーの食品コーナーで友人のYとカゴをぶら下げて徘徊していた。地方都市で医者をやっていたYが神奈川に戻ってきたので、新居でささやかに飲もうという寸法である。
地方ではインターンのくせに月給100万を荒稼ぎしていたY。遊びに行くと移動は必ずタクシーで身銭を切ってくれたものだったが、今日は駅から市内バスを利用していた時点で嫌な予感はしていた。そう、都心部に帰ってきたYの給料は20万程度の一般人所得に戻ってしまったのである。
俺たちはアルコールを冷蔵している什器の前に立った。Yのビール好きは有名で毎日ロング缶を3,4本あけるほどだが、その分発泡酒への軽蔑はすさまじいものがあって存在すら全否定していた。一度帰郷した際、河原で飲んでいると誰かが買ってきたブロイを「何だこんなもの!こんなものめ!」と蓋をあけて河に放流した男である。今ごろブロイは大きくなって河を上っていることだろう。
「よーし」
Yは目の前に並ぶ酒類を睨みつけると、意を決したように声をあげた。
「今日は贅沢してビールといこうかな!」
あまりに痺れる台詞のあまり脳に限りなく近い部分で耳鳴りがするのが聞こえた。Yは勢いよくカゴにビールを放りこんでいたが、途中で現実に怖気づいたのか、赤生とマグナムドライを微妙に混ぜるのも忘れなかった。
そしてツマミを買おうとわれわれは生鮮食品コーナーへ。地方では秋刀魚の刺身を大皿で御馳走してくれた男・Yは突然700円で9個が入っているにぎり鮨セットを指差して、怯えた声を漏らした。
「・・・もう、あんなの食べられません・・・」
その瞬間、俺の視界は大粒の落涙で遮られた。その日は昼間から浴びるように酒を飲んだので、それ以降の記憶は定かではない。だがYが新居で俺に語った、「今度、麦茶も自分で沸かそうと思うんだよね」の言葉だけは今も耳に響いている。聞いてはいけない一言とは、忘れられない一言でもある。

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