バックナンバー・練乳工場(2002年7月〜9月)


9月9日/アメリカ横断ウルトラクイズの決勝にTOEFLを採用

駅を下りると国道がまっすぐ伸びて袖ヶ浦ナンバーの車がひっきりなしに往来している。道の先は曇天の空に吸いこまれるようにして消えていった。
私は大きくため息をついた。そう、ここは浦安なのである。
神奈川県というノーブルな土地で育った私が、まさか自らの意志で日本文化の臨死ゾーン・千葉県くんだりまでに赴くとは思ってもいなかった。土曜のまだ宵っ張りだというのに、国道に沿ったファミレスや回転寿司店は家族連れが列を作っていて、その品位のなさに日本は敗戦国なのだという思いが胸にこみあげてくる。
しかし私がなぜ日本のあすなろ教室・浦安くんだりまで。それは某アーティストのコンサートを見るためであった。
「奴のコンサートはすごい」私の友人は語る。
「デカい扇風機の風を正面から浴びて登場するから」
なんだそれは。若手芸人の罰ゲームか? 他にも「グランドピアノの上を転がって登場するらしい」という噂も聞いた。もしかするとグランドピアノ自体が転がる話だったかもしれない。まあどちらも似たようなものだ。彼をこれから肉眼で見れるというのならば。
私がこれから挑む人物――それは吉川晃司である。
振り返れば小学生自分、広島からバタフライで上京する「すかんぴんウォーク」を見た瞬間、「奴は違う」と感じた。90年代初頭、「せつなさを殺せない」「KISSに撃たれて眠りたい」「ジェラシーを微笑みにかえて」と次々繰り出される日本語教育経験者では思いつかない斬新な上の句と下の句の組合わせにもすっかりやられた。それにくわえて最近、各界から重ね重ね耳にする「吉川のコンサートはすごい。7つの意味で」という噂。
これは一度見るしかないのではないか? 腰をあげた私はチケットが取りにくい都心の公演を避け、カーセックスと車の改造しか興味がない千葉県民ならばコンサートもそれほど混んでいないだろうと浦安を狙いうちしたのである。
コンサートに先駆けて、予習も開始した。まずは友人からベストアルバム(97年発売)を借りて大好きな「Boy`s Life」のみをリピート機能で聞きこむ。さらにテレビ朝日の「隠れ家ごはん」にゲストとして招かれて、鱧をつつきながら「包丁って職人の魂が宿ってるよね」「オレは今まで愛と夢だけをテーマに150曲作ったから」と発言する吉川を確認し、予習は終了。また音楽宣伝誌で吉川による「男は毎日5キロ、女は3キロ走って体を鍛えてほしいね」という全く文脈がつかめないコメントも目撃したので、毎日5キロ走のカロリー消費に相当する花村萬月の読書に励んで当日へのコンディションを調整した。
さていよいよ当日。ガレージ風のゲームソフト屋、ばかでかいドトールコーヒー、夏物処分衣料がワゴン積みされた洋服店が並ぶくすんだ街並みを抜けて、浦安市民文化会館に到着する。ゲートをくぐった目の前では早くもグッズ物販が展開されていた。
吉川マウスパッド、吉川油取り紙、吉川伏見ジェット手ぬぐいの見本品が壁に並ぶ中、極彩色の光を放っているのが、吉川特製バスローブ(1万円)だ。当然、「*」によく似ている、吉川晃司のイニシャルのK・Kを背中合わせにした吉川マーク入り。もしかしてYAZAWAタオルのように吉川コンサートでは定番のアイテムなのだろうか? たとえば「サイケデリックヒップ」のサビで会場上がバスローブを脱いでケツを突き出すとか。そこにコテを振り回した吉川が「*」の印を焼きこむ。吉川語で言うところの「おまえに熱い誓約(しるし)をくれてやるぜトゥナイ」だ。すでに安室奈美恵の娘の名前を臀部にタトゥーで入れている私は焼き印を入れる勇気がなく、泣く泣く吉川トレーディングカード(500円)を購入してあきらめることにする。
さて前から15列目に陣取った私を歓迎するかのように、いよいよコンサートは開始。生吉川を前に会場のテンションも最高潮だ。しかし私には腑に落ちない点が残った。さんざん友人から「コンサート中に吉川はシンバルを蹴り上げる」と聞いて相当楽しみにしていたのだが、それに該当する楽器がステージに見当たらないのだ。今回のコンサートではやらないのだろうか?
そんな不安をよそにリズムを落として最初の曲は終わりが近づく。すると気を抜いた私の前に信じがたい光景が現われた。吉川が突然振り向き、どう見ても背後のドラムセットの一部にしか見えなかった頭上2メートル50センチのシンバルを蹴り上げたのである!  これは驚いた。パン食い競争だったら間違いなく抗議を受け、脱獄囚でも一目で観念する高さなのだから。あまりの素敵さに私は眩暈を覚える。1曲目でこの高さということは、アンコールでは月を蹴っていることだろう。まさに現代に蘇った忍者。
そしてコンサートはニューアルバムの曲を中心に、「YOU GOTTA CHANCE」や「レインダンスが聞こえる」などの懐かしいナンバーも織りまぜながら怒涛の勢いで展開。はたして吉川兄貴のミラクルなダンスが狂い咲いた。
中盤に見せた3塁の伊原コーチが大塚に本塁突入を指示するような全身を使った腕ぶん回しダンスは、ラジオ体操に採用したら全国の子供たちの肩と腰が破壊されるのは必死の激しさで、時折アンプの上でキメるTIMの「命」を思わせる片足立ちは、重力を完全に無視した滞空時間だった。遠回しに吉川兄貴は身をもって教科書教育を否定しているのだろうか。
その中でもっともすさまじかったのは「憎まれそうなNEWフェイス」の中における一連の動き。網膜に全映像は残っているが、申し訳ないことに私にはあれを文章化する力量はない。すごすぎた。強いて言うなら、クラブで暗転中にフラッシュが光って動きが分解写真に見える照明、あれの肉眼で見える瞬間だけを拾い集めて編集したようなダンスで、最低でも2秒に1ポーズが披露され、それは通信簿だったら間違いなく「落ちつきがなさすぎる」と評価されるに違いない小刻みムーブだ。

やがてアンコールを経て、コンサートは2時間かけて終了した。
右手にいた化粧の厚い三十代の小女は、「ステージ熱くてさ、汗すげえよ」という吉川兄貴のご託宣MCに、「・・・拭きたい」と素で呟いていた。左手にいた手足が短くて髭剃り跡が濃い肥満男は、滑稽なぐらいに全曲踊り狂っていた。
会場から出た私は7時なのに真っ暗に冷え込む浦安の空の下、トレーディングカードの袋を破く。どれもカード式の電子ロックにかざせば、無条件で武装解除することは間違いないマッハレベルで抜群のデザインばかり。1袋しか買わなかったことを猛烈に後悔した。今、私は本気で10月のNHKホール、ツアーファイナルにも行こうかどうか悩んでいる。

「男は毎日5時間風呂に入れ」


8月5日/声に出して読みたい日本語のおしながき

部分麻酔か全身麻酔か。
私は悩んでいた。それはまるで「麻酔」という名前が同じで苗字が違う二人の女性のどちらかを選ばざるえない状況――そう、小松みどりと五月みどりの狭間で揺れる青年を描いたあだち充・著「みどり」のように。
ミッキーロークとガチンコの殴り合いをして骨折してから早半年。右手首の中に埋まったボルトを抜くために引越し先の総合病院を訪れると、利発そうな青年医師はレントゲンを見ながら「じゃあボルト抜きましょうかね。麻酔は部分と全身、どちらがいいですか?」と機内食のチキンオアビーフなみに軽く、「どっちの料理ショー/回転寿司で流れている謎の白身魚VSその横を流れている謎の赤身魚」よりは深刻に尋ねた。
強欲な性格のあまり、いつもの癖で「両方」もしくは「大きいつづら」と答えそうになったが、昨日「おはなしでてこい」で「金の斧」を聞いたばかりでトンチが稼動した私は即答を避けて後日に返事を持ち越すことにする。
部分麻酔の場合なら上腕部だけに麻酔を効かせて意識下のもと、全身麻酔であれば意識を完全を失わせて手術を受ける。前回のオペは選択の余地なく、弥生人似の女医さんに押しきられて全身麻酔で行なわれたのだが、あとあと聞くと手術中は呼吸を止めたり、乳首にお灸を盛られる悪戯をされたりとかなりの高リスクであるらしい。たかだか右手首の手術。ならば迷わず部分麻酔を選びたいところだが、私は血に対して異常にナイーブなのであった。
まずは小学校3年生の時に、採血される自分の血を見て貧血を起こしたのが原点。もちろん時間の経過は人を強くさせるもので、半年前の手術の検査では血こそ見なかったものの、採血中に血を抜かれるイメージに耐えきれず、看護婦3人によって長椅子に運ばれた。今回の検査でも針が刺さる瞬間を見まいと首を真逆にそむけていたら、壁に書かれた「採血室」の「血」の字が目に入ってくらくらする始末。しかしこれだけの嫌血主義なのに高校生時代に自分の意思で献血に数回趣いたのは、童貞という病に侵されていたとしか思えない。
それでは意識がない全身麻酔がいいかと言うと、これも気が重い。それは麻酔中の危険性が怖いからではなく、麻酔が切れてしばらく体がいうことを利かないため、尿道に尿を吸収する管を通されるのが嫌なのだ。これがどれだけ理に叶っていない誤った行為かというと、一通道路であるチムポハイウェイを先端にドリルがついた新幹線が逆走するようなものである。もしくはチムポ(高速)ハイウェイに誤情報が伝達されるようなものである。
思えば前回の入院。ハイウェイを逆走する新幹線も安定走行期にシフトし、慣れて絶妙に具合も良くなったころ、唐突にフロアで一番可愛い看護婦がベッドに歩み寄って来た。するといきなり「そろそろ抜きましょうか」と私のアウトバーンに手をあてがうや、テーブルクロスを引く芸のような勢いで整備新幹線「ドリル」号を一息で車庫に撤収させてしまう事態に。ああ、あのやるせない痛み。書いてるだけで耐えられません。読んでる男性諸君なら、自分の男根諸君の突端にまち針でも刺して痛みを共有してほしい。もちろん試す前に必ず針の先端は火で炙って消毒するように。
要点をまとめよう。部分麻酔のデメリットは意識があるので恐怖心が残ること。メリットは意識があるので丸いピカピカした照明を生で下から見上げられて話がひとネタできること。全身麻酔のデメリットは若い看護婦に尿道に管を通されて、あげく手術前夜は浣腸までされること。メリットは若い看護婦に尿道に管を通されて、あげく手術前夜は浣腸までされること。やはり決心するには決め手に欠ける。
ここで私は最後の切り札を投入することにした。10年来の友人、ホーリー内藤氏が何の因果か、奇跡的に麻酔科の医者であるのだ。これは話を聞かない手はない。酒席に呼び出して相談すると、「部分麻酔、全身麻酔、メリットもデメリットもある。一概にどちらがいいとは言えない」と、さすが専門医、慎重な構えを崩さない。父親が落研出身で実姉が下着泥棒であることを一瞬忘れさせる精悍さだ。
盃を傾けながら質疑応答を交わしていると、そこにホーリー内藤の妻であるサイレント内藤が遅れて到着した。彼女も手術室の看護婦であるので参考意見をうかがうと、
「あー絶対部分麻酔がいーと思うよ。あぶなくないもん」
と解答は実に軽い。するとそれを聞いて小さく頷くホーリー内藤。
「君がそう言うなら・・・」
おい待てそこの恐妻家。おまえ絶対自分のオピニオンじゃないだろ。自分の主張が含まれてないだろアイドルの映画評だろ本の帯の推薦文だろ無果汁だろカニのカマボコだろ。
結局私は意を決して部分麻酔で挑むことにした。緊張して迎えた手術当日、検査着をまとって手術室に運ばれると、奥の方から小さく「・・・あー、麻酔きらしちゃってるねえ」と不安な声が聞こえる。
麻酔がない? 起き上がって抗議しようとした刹那、私は青い手術着の看護婦に手足を押さえつけられた。じたばたしていると主治医が小瓶を片手に手術台に近づいてくる。
青年医師はウイスキーを口に含むと、やおら私の右腕に霧状にして吹きつけ、「さあ始めますよ」とポケットから錆びたジャックナイフを取り出した。そこで私は気を失ったが、2時間後に目を覚ますと私の枕元には無事摘出された弾丸が転がっていた。「この病院で行なわれた中でもっともカッコいい手術」の説明を主治医から受けて私の顔もほころんだが、ところでボルトはいつ抜いてくれるのだろうか。

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