本を読んでいていつのまにかうとうとしていた。携帯の着信音で目が覚める。反射的に取り上げると、
珍しく実家から父親の電話だった。 「工か?今な、町田のツタヤから電話があっておまえが今日返したビデオが間違ってたらしいぞ」 朦朧とした意識で頷いて、電話を切った。時計を見ると午後11時だ。木造ワンルームで吐く息は綿菓子のように白い。 もう一度眠り直そうと思い、傍にあった毛布を引き寄せた。 ぼんやりと考える。今日の夕方返しに行ったビデオのことだろう。連絡先を実家で登録していたから連絡がこっちに来なかったのか。 明日返却予定のを一日早く返したビデオだったから、明日返すべきビデオを持っていっても十分間に合う。 それにしても何のビデオだったっけ。 がばりと半身を起こす。ビデオデッキの上には「淫乱シロガネーゼ」が、異様な存在感で鎮座していた。 全然、淫乱でもシロガネーゼでもない、ただのアバズレ列伝だった愚ビデオ。 こんなのだったら「方言の女〜京女の肉体は、あかん堪忍やめなはれSP」借りればよかった。 きっと生八つ橋を女体にピシピシ叩きつけて。 いや、そんな後悔をしてる場合ではない。どうやら艶ビデオを返しそこねてしまったらしいぞ俺は。 嫌だな、明日剥き出しのテープを持っていて渡すの。 今行けば深夜だからカウンターの中は男性店員しかいないが、明日の昼に行くと女性店員が多い。 最近半額サービスで足繁く通ってたから、職場?ってくらい通ってたから、 眼鏡娘の店員には明らかに顔覚えられた始末だ。ああいうの何ていうの?共犯関係? でもいいか、今さらその程度の問題。だって夜遅いし寒いし眠いし 俺今年の確定申告で源泉徴収全部返ってくる身分だから失うものなんて何もないもんね。 おやすみなさい。俺はゆっくり身を倒した。ところで何のビデオを間違って返したんだろう? がばりと体育の授業で一度も出来なかったヘッド・スプリングを使って全身で跳ね起きた。 間違いなかった。俺が返したビデオは自分責任編集の艶ビデオダイジェストであった。 目を上げると、衝撃の艶々映像をダビングしたいという理由だけで衝動買いしたフナイの再生専用ビデオデッキが 燦然と置かれている。金がないから昼食に作るオムライスの具を1・5個から1個に減らしたというのに、 1万円も注ぎこんでしまったこのデッキが何よりの証拠だ。それも一番安いやつではなく、 いななきボイスの音質が崩れないように固執して選んだハイファイ。 確かにこれを使ってダビングした記憶がある。 その機械的なダビング作業は、ウォーホールの「ファクトリー」からもっとも遠い工場仕事だった。 そうか、再生したビデオを返さずに、録画した方を返してしまったのか。 ビデオ屋の店員は間違ったビデオとして再生して中身を確かめるだろうか。まずしないだろう。しないよね。 しないでほしいよね。カウンターの後ろのモニターで流したりしちゃったりね。店内放送の「ツタヤ・カウントダウン」で 俺のビデオがヒットチャートの中で揉まれて意外に健闘したりしてね。関西のFMから火が点いたりしてね。 俺がスペイン坂で生放送するとファンが押し寄せてきてね。 畜生見られたところで何だというのだ。見てみやがれ、カルチャー・コンビニエンス・クラブ。母体を敵に回してやるぞ。 ああ編集したさ俺は。いいシーンなんか3回繰り返してダビングしちゃったもんね。ドッキリの再現シーンかってくらいにね。 頼むやっぱり見ないで。 結局見られたところで何も後ろめたいことはないと自分に言い聞かせ、俺は毛布を羽織った。 足元にビデオテープが散乱しているので、それを爪先で器用に寄せる。最近まとめて買った安テープの整理が未だについていない。 テープを5本セットで買うと、外見が当然同じなので判別に苦労して、ますます散らかってしまう。 俺は一緒についてくるシールを無作為に選んでテープの背に貼っていた。「標準録画」とか「120分」、「スポーツ」等、 内容と一致しなくても区別できればよい。そういえば間違って返した女相撲ダイジェストには何のシールを貼ったかな。 5分後の小雪がちらつく真夜中、俺は自転車で片道15分かかる道をビデオ屋に向かって、競輪の先導車を思わせるスピードでペダルを漕いでいた。 たとえ故意でなかったとはいえ、背に「スペシャル」とシールが貼られたエロリーエロエロ大行進ビデオを見て 他人がどう解釈するか考えると、俺の想像力はそれ以上耐えられないのだった。 ところでようやく名刺ができた。 無許可で「練乳工場」のアドレスまで載せてしまったが、それなのにこんなことばかり書いてていいのだろうか、 と名刺経由で見た人のことを考えてポーズで悩んでおく。「淫乱シロガネーゼ」は、vol・3だけお薦めです。 |
夕方ワイドの世界というのは確実にあるのだが、その存在に主婦、無職以外が触れることは少ない。 午後5時から各民放局で放送し、6時20分からのミニコーナー特集は協定でも組んだかのように、 実にかっちりと「激安店情報」「激安ランチ情報」「家のリフォーム」でローテーションを回す。 雨、雨、激安、雨、激安の酷使ぶりだ。 これでは激安の肩が潰れるのではないか?という私の危惧をよそに、今日もテレビ朝日「スーパーJチャンネル」は、 北関東激安戦争!を銘打っていた。 過去にキャスターまで石田純一と激安野郎を起用していたポリシーを持っている放送局だけあって、 この手のVTRには安定感が漂っているテレビ朝日。しかし今日はいきなり雲行きが怪しい。 まずどういう訳だか照明を落とした演出で、経済雑誌「激流」の編集長が登場する。この聞いたことはないが、 やたら迫力だけは感じる雑誌名に、まずテレビの前でかいていた胡座も正座に直さざる得ない。 さらにこの男の第一声が、 「北関東は激安店が乱立しておりまして・・・その中でも群馬県伊勢崎エリア。ここは血で血を洗う激安競争が 行われております・・・」血で血を洗う。いよいよただごとではない。 画面は現地に到着した丸川珠代が登場する。東大卒の学歴から「才女」をキャラクターに持つアナウンサー丸川だが、 私の記憶では回転寿司屋でネタの大きさに驚くか、激安店でカレールー持って値段に驚く姿しかないのは 何かの誤りだろうか。 そして案の定、激安スーパーの中で山積みにされたカレールーを前にした丸川は「キー!安い!」 を自棄糞ぎみに連呼していく。もう少しカメラを回せば歓喜のあまりカレールーの山にダイブしそうな勢いすら感じる。 そりゃ成城石井ぐらいにしか行かないおまえにとって、東武沿線の生活感覚、 例えば主食が五穀であることなんか知らないだろうと思うが、群馬県民のGNPと裏腹に丸川のテンションは 天井知らずにずいずい上がっていく。 しかし今回の主役は彼女ではない。特価コーナーで青首大根を手にして、「一本80円!ムキー」と白目を剥く 丸川の元に歩み寄るのは、小太りの店長だ。 「丸川さん、この大根はねえ、私が買ったのは150円なんですよ。それが80円。なんでだと思う?」 首をひねる丸川。確かにこれは東大卒でも難しい問題。どのようなマジックで半額近い値段をつけられるのか? 店長は何やら嬉しそうに一拍置くと、丸川の目を見て言い放った。 「つまりこの大根は原価割れしてるんですよ!」 思わずテレビの前で私は成程!と膝を打ったが、それは解答と言えるのか。よく聞くと喜んで言うことでは全くないし。 さらに続けて店長はカメラを視界に捉えると、強く握った拳を掲げて勝ち誇ったかのように、一言発した。 「だからウチはね、売れば売るほど赤字なんだ!」 これは力強いじゃないか。そしてなんとも頼もしいじゃないか。言い方が。 なんだか胸に爽やかな風が吹き抜けていくようじゃないか。死の灰をのせて。 言ってる内容は「泥の舟からさらに鼠が逃げていくよ!プシュー」と何ら大差はない。 この店が何でここまで安くするかというと、車で20分の地域に実にディスカウントショップが4店も鎬を 削っているから。競合店に勝つには安くしないと客が来ないのである。 最後に店長は遠くに目線をやりながら、総括した。 「こうやってどこも赤字覚悟で安くしている訳です・・・ただこうやって揉まれることによって勝ち残れれば、 真の激安店であると」 溺死寸前であるために、滝がそこまで近づいている音色は耳に入らないのだろうか。 その台詞を聞いてるのか聞いてないのか分からないが、丸川は箍が外れたかのように大根を振り回している。 日本経済は今後も低迷を続けるだろう。だが丸川だけは、元気である。 |
免許更新の連絡ハガキが届いた。時の流れは早い。あの忌まわしい出来事から3年が経とうとしていることになる。 明らかに視界が狭いことは自分でも分かっていた。俺がハンドルを握って操作する車は、 不安な加速と減速を繰り返しながら平日の細い道を用田のインターチェンジに向かっている。 「まあ鈴木くん、そんなに緊張しなくていいからね」 物腰の柔らかい教官が助手席で囁く。他の教官は腕に「富国強兵」「八紘一宇」と刺青をしていそうな 日本兵的無根拠マッチョが揃う中、彼は性格も言葉使いも丁寧な中年男性だ。 「高速乗っちゃえば大丈夫だから」 その日は自動車教習所の高速教習だった。あまり自慢話は好きではないのだが、第1段階で縁石に乗り上げて そのスケールの大きさに教官の手が震えて押印を拒否された俺である。それもオートマ限定。 ここまでぶっちゃけると迷惑かかる人がいるかもしれないのでイニシャルトークで書くと、A・T限定。 MC・AT風に言うなら、AT・ゲンティー。そんなサーキットの狼少年に緊張するなというのが無理な話だ。 高速に入るインターまでがまた長くて、天竺まで行く気がしてきた。後ろの席で短大生の女が生欠伸をしている。 高速教習のシステムは生徒2人と教官がセットになっていて、常に教官は助手席、生徒が行きと帰りを交互に乗る 段取りだった。短大生とのジャンケンに敗れた俺は選択したくなかった行きの道を運転している。 やっぱり帰りの方が気が楽だったなと思っていると、前方に踏み切りが見えてきた。そういえば踏み切りでは 何かすべきだったはずだ。線路の前にさしかかった俺は何の迷いもなくアクセルを踏み込み、いつチェッカーフラッグ が振られてもおかしくない猛スピードで一気に通過した。 教官の肩が小刻みに震えている。 「鈴木くん」 「はい」 「車、寄せて」 「はい」 ぎくしゃくと車を路肩に停めると、教官は突っ伏して震え始めた。その時に初めて、俺は踏み切り前の一時停車 という、ひっかけ問題のようなルールを朧げに思い出していた。 「ぼ、ぼ、僕はね」見ると眼鏡の下にはうっすら涙が滲んでいる。「に、に、20年やってるけど、こ、こんなのは初めてだあ」 「やっぱりまずかったと」 「ま、まずいとかね、そ、そ、そういうあれじゃなくて、か、神様」 敬虔な教徒であるらしい教官は、首にかけてあった十字架を握り天に向かって贖罪を請いた。俺も横で手を合わせた。 短大生は足を組み替え「Cutie」を熟読していた。 白目を剥いて気泡を吐きはじめた教官をなだめすかし、なんとか車は再発進した。 あとは大きな問題もなく、というか踏み切り強行突破に比べればどれも小粒というだけの話なのだが、 高速に合流できた俺は、緊張と眠気を同時に高めながら大井松田SAまでの運転を無事にこなした。 SAで停車し、ここで運転手交代である。その前に軽い休憩が必要だということで、車の外で各自体を伸ばした。 助手席に戻る教官の顔を見ると、さっきの狼狽が嘘のようにエロリーな微笑みで満ちている。 いくら敬虔とはいえ、さすがに女を指導している方が嬉しいのか。運転する気まんまんの短大生もさっそく運転席に乗り込んだ。 さて俺も、と後部席のドアに手をかけようとしたところで車がするする動き始めた。 レバーの操作を間違えて軽く前進したのだろう、と思いきや車はそのまま進んでいく。 どうやら運転に集中するあまり俺が乗ったことを、短大生が確認していないようだ。信じ難いが、そんなこともあるだろう。 もう教官が諭してもいい距離まで車は前方に進む。立ち尽くしながら、そろそろバックミラーに自分が映る距離だなと俺は考えていた。 車は出口までさしかかった。そこで後部席の不乗に気がついた車はアメリカのカートゥンなみに跳ね上がり、 立駐の方向転換ゾーンみたいな急Uターンをして戻ってきた。顔面蒼白の教官が俺に号泣で詫び始めた。 というシミュレーションを裏切って、車は何の迷いもなく出口から軽快なスピードで姿を消して行った。 ニヤついて後ろまで気が回らない教官の笑顔が一瞬見えた。 1分後、教習中にSAで置き去りにされた事実を冷静に噛み締め、秋風にさらされて急速に冷えていく缶コーヒーを 片手に、俺は神様は何処にいるのだろうと考えていた。 免許更新ハガキを見て思いだした、23才秋のメモリー。未だにこの事件がトラウマになって、 俺の高速道運転は「怖い」か「眠い」のどちらかの感覚しかない。 |
昨年末に某雑誌社からライター修行をしないかと声がかかり、櫂をなくした泥舟の上で空を仰ぐ生活をしていた
私はその話に飛び乗った。 これで固定収入が入ると、それまで家賃込みで10万円以内で暮らすべく つけていた家計簿を捨てた。ノートパソコンを買った。家の前に「ライター(仮)」の表札を出した。 毎日昼に作るオムライスの具のソーセージを1個から1・5個に増やした。 ところが年を明けても連絡が来ないのでおそるおそる接触を取ると、私が楽観していたほど仕事が簡単に入る ものでもないらしい。そこで慌てて初めて業界研究の本を読むと、成程、全くもって甘い世界ではないようである。 生涯雇用かと思ってTBSハウジングの下見に行くところだった。 鈴木工ピンチ。鈴木ピンチ工。鈴木ピンコ立ち工。 私は再び家計簿を買い求め、後輩のそれだけは止めてくださいという制止を振り切り、TVブロス200円を 「娯楽費」に書き込んだ。ノートパソコンの電源を落とした。表札に筆を加え「ライター(仮性)」と改めた。 いつでも兵糧攻めに対する準備は万端だったので、ここまではスムーズにいった。 しかしオムライスである。 人間一度上げた生活のグレードを下げるのは実に至難の技だ。ましてこの1ヶ月に飛躍的に味が向上して、 完成型が見えてきた可愛いオムライスである。ここでソーセージを減らせというのは、私にとって死人に鞭、 クラムボンのボーカルに喉頭ポリープ、親がいない山村美紗の娘(女優)である。 まず私が日ごろ購入する伊藤ハムあらびきグルメウインナーは16個入りで380円。1ヶ月いくらかを換算すると、 1食1個だから、380÷16×30=712・5円 1食1・5個だと1068・75円なので、その差,実に356円。なんだ別にいいじゃん。全然いいじゃん。 後藤真樹のお姉さんが赤羽の風俗で働いててもE−JUMP!E−JUMP!E−JUMP! 駄目だ!瓦がないから固い方の八つ橋を手刀で割りつつ、その意識が駄目なのだ!と私は自分を律した。 その考えが退職後9ヶ月の収入が(映倫規制。子供は見ちゃダメ!)円の人間には禁物なのだ! さらに1年に直すと、その差額4272円。あれ?それくらいならいいじゃん。1回飲みに行くの我慢すればいいじゃん。 つんくがビートルズのコピーしてもE−JUMP!(音楽への冒涜?)E−JUMP!(節税対策?) E−JUMP!(文化祭?) この愚か者!この愚集政治!卓袱台がないからバームクーヘンをひっくり返しつつ、私は自らに喝を入れた。 そんな甘えは「外食は祝い事のみ」という田舎の風習なみポリシーを捨ててから言え! モロ師岡チックな一人コントをこなして呼吸を整えた私は、泣く泣くソーセージ1個への格下げを決意せざるえなかった。 オムライス1食におけるスプーンの稼動回数はカウントしたところ40往復。 さらにソーセージは1・5個をブツ切りにした場合18ピースに対して、1個の場合は12ピースになる。 つまり1スプーン往復にかかるソーセージ含有の割合は、0・45個と0・3個の開きが発生する。 0・45個と0・3個!!!!130試合した野球チームの勝率に換算すると、ゲーム差は実に20!しかも5位と6位の争い! しかしここで挫折するのは素人である。私は無職界きっての理論派。だてに半年間も近くの図書館で新聞購読を済ませてきたわけではない。 顔見知りは全員定年退職者ばかりだ。 つまりソーセージが12ピースでも含有率を0・45まで高めればいいのである。 どうすればよいか?最初のスプーン稼動14往復の際、ソーセージを除くのである。 読者はまさかと思っているかもしれない。そう、ケチャップライスの中にソーセージの破片が混じっていたら、指ではじき落とすのだ。 確かにその時はつらい。私もここまで堕ちたかとガテンを年間購読したくなる。ものつくり大学の願書でも書きたくなる。 だが峠を越えた後半の26すくい。前半蓄えたソーセージが一挙に開花して、含有度が1・5個に並ぶではないか。 花。花。この幸福がいつまでも続きますように・・・花。花の字は各自グラフィックでイメージしろ。花花。 そうして私はペンタゴン外交を彷彿とさせる巧みさで、最大の危機の回避に成功したのだった。 そして私がこのような豊かな思考を展開しているうちは、泥舟に揺られていると思ってもらって結構だ。 鈴木工ピンチ。鈴木ピンチ工。鈴木ピーコックで買ったメンチ工。 |
表紙には上目使いでカメラに視線を送る男が将棋版の前で正座しております。頬
を膨らました彼の眼光はどこか鋭い。
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