バックナンバー・練乳工場(3月下旬)


3月25日/血の味(新発売のガムが)

サインペンが綴る文字を眺めていた。
先日世田谷文学館で開催された沢木耕太郎講演会。俺は何通もの往復ハガキを送りつけ、無事20倍以上の抽選を突破して入場券を手に入れた。
デニム一張羅もしくはコムサデモードではない黒を集めたファッションに、剛毛を移植した沢木コスプレが会場にひしめく中、定刻通りに沢木は登場した。 年収のほとんどを講演会で稼ぎ、生活のほとんどの飲食はタニマチにゴチになる、日本最後の幇間ゴロの登場に会場は色めきたつ。
まずいきなり、「今日はいい天気ですね」「そうですね!」のコール&レスポンスで観客の反応を確かめると、あとは一気だ。
前列にいるデブをいじり倒して笑いを取ったあと、今まで寝た芸能人のイニシャルトークで客を引きつけ、「ここだけのぶっちゃけた話、S社の経営がヤバいんだ、マジで」と2ちゃんねるをそのまま受け売りした業界暴露話で会場の空気をもてあそぶ。
さらに巨大サイコロを転がし、リスナーにエロテレフォン、FAXで珍しい場所でのH体験を募って、一通りの講演会ワークをこなしたあとは、客を全員立たせてのジャンケン大会。
これだけでもおなかいっぱいなのに、最後にはサイン会までやってくれるのだから、実に来訪者を楽しませるツボを心得ているではないか。
まずは地方のプロレス興業のように前3列を占拠していた水商売の女たちにサインをこなしていく。ここでも沢木は一人一人に「また店行くよムフフフ」と耳打ちサービスを忘れない。
やがて俺の番になった。沢木の横にはあやしいプロモーター陣が、サインは著書のみという事前の告知を施行させるべく警棒を片手に身構えている。
俺は「噂の真相」の「宇多田ヒカルは沢木耕太郎の娘?人気ノンフィクションライターと藤圭子を結ぶ一つの線」が特集された号を取り出した。動揺を見せた沢木の前で冊子を開き、あらかじめ挟んでおいた自分の名刺を差し出した。
「沢木さん、これ、僕が初めて作った名刺なんです。この裏にサインしてほしいんですけど」
「あ、金銭的な要求じゃないの?いいよいいよ、お安い御用だよムフフフ」
彼がライターになりたての頃、ほとんど面識のない人物が親切にもタダで名刺を作ってくれて、それで初めてライターを名乗ることができた。そのどこまで本当か分からない話に俺は憧れていたんだな、とペンを走らせる大量の貴金属で隠れて見えない沢木の指に目を落としながら、ぼんやりと考えていた。
今、入り口に佇んでいるだけとはいえ、俺のライターという職業の第一章が完結していくのかもしれない。円は閉じた。

翌日。編集部で資料をまとめていると、「お茶いくわよ」とO女史に声をかけられた。
珍しいなと思いながら、近場の喫茶店で女史はボトルキープしてある蛇酒を舐め、俺はついてきたチェイサーを啜った。女史がいきなり切り出した。
「鈴木くんさあ、わたし移動なのよ」
俺は動揺を隠せず、反芻していた水道水を噴射させた。
「い、移動?ど、どこにですか?箪笥作る班ですか?」
「女囚さそりじゃないんだよ、わたしは。違うわよ、××××よ。望ましくない移動なのよ」
と普段は見せない虚ろな目をして、女史は肉ちまきと見間違うサイズの葉巻をふかす。
名前を挙げたのは相当有名な雑誌なのだが、話を聞くと、そこだと店取材に明け暮れるのがほとんどで、今のような編集者として何をチョイスするといった喜びとは無縁の仕事になってしまうらしい。それが女史の気持ちを多い日のように暗澹とさせているようだった。
「そういうわけなのよ」
とO女史は昼間からピータンをつまみにグラスをぐいぐい傾ける。
「そうなんですか・・・僕もOさんに声かけてもらえなかったら、ここにはいなかったんで・・・本当にありがとうございました。頑張ってください」
と本心を吐露して頭を下げていると、俺の脳裏を小さい虫が移動していった。
あれ。
なんか気になるな。
そういえば俺、今書かせてもらってる雑誌、このO女史としか接点ないんだけど。

それに気がついた俺は上げようとした頭が硬直して動かなかった。今、入り口に佇んでいるだけとはいえ、俺のライターという職業の第一章が完結していくのかもしれない。円は閉じた。


3月20日/加護亜依ちゃんの被レイプ面を、みんなでミルモニ!

人は常に場所を求めている。
男なら街の風俗情報に通じたバーテンダーと気のきいたジョークを交せる、行きつけのショットバー。女なら顔見知りの仲間と楽しいおしゃべりで時間を忘れる、ハートヲーミングかつ訳ありの産婦人科。
そして全ての人間が探しているのは、「なかなかやるコンビニ」である。通称「やるビニ」だ。
友人Nの近所にある、個人経営のやるビニは午前2時閉店で、酒類のコーナーにはハートランドビールとライムウイスキーが置いてあるという。
やる。ここは、やるね。
ディスカウントストアにも置いてないマイナー酒をさりげなく常置しているのが、まず、やる。だからといって瓶ホッピーや麦コーラ揃えればいいという訳でもない。甕に入った自家製どぶろくを柄杓で量り売りしていたら、別の意味で、やるとは思う。
それに午前2時閉店という余裕ぶり。やる。やるよ、ここは。やればいいじゃない。やってみればいいじゃない。
田舎で兼業農家が経営してる偽ビニのような、午後8時閉店のようなやる気のなさもなければ、町田駅周辺だけでここ半年に3軒は乱立した――身内で「バトル・ロワイヤル」やってどうすると言いたくなる、ファミリーマート店舗の悲愴感もここには存在しない。店長の気分次第では夏の長期休業も辞さないフットワークの軽さが漂ってくるではないか。
そう、店長はかなりの趣味人に違いない。午前2時に閉めた後は、自家用車でそのまま築地へ。朝市で安くセリ落とした鮪をそのまま業者に納入して、コンビニに帰ってレジに立つ。もうここ1ヶ月3時間以上連続して睡眠を取っていないんだ。でもそうしないと店賃が払えないから・・・
駄目じゃん。
食えてないじゃん。
それにしても、都市人は「やるビニ」を求めては街を徘徊している。白い方のパピコが冷えていて、56分も60分も64分のカセットテープも揃っていて、「ぴあ」が土曜日にも残っていて、可愛いバイトの女の子がお釣りの小銭を上から落とすのではなく、直接手渡してくれる店舗。やる。それ、やるね。やってみたらどうなのよ。いいからやっときなさいよ。お替り頼むなら頼みなさいよ。
しかし私のアパートから最短距離にあるセブンイレブン旭町3丁目店がこれとは対をなす、アン・コンビニエンスストアなのである。そう、「アンビニ」なのだ。
セブンイレブンって言っても、青果市場の短期バイトみたいな午前7時から午前11時労働じゃねえの?と疑わせるような、締めの弱さ。まさに「ロー損」。ついでに勢いで「テレ蔵」。冷静な私の筆をこれだけ滑らせてしまう、大きな欠陥はないくせに「痒いところに微妙に手が届かない店舗」なのである。
いきなり新聞の一般紙が置いていない。買わないけど、どうなんだろう、それって。すごい大切なものを忘れていないか。高校入ったら煙草吸い出して陸上部の練習も来なくなったあいつみたいな、基本の喪失感が漂う。
雑誌コーナーに向かえば、週刊プロレスもない。レジで「領収書ください」と頼むと「ショセキヒってどう書くんですか?」と必ず聞かれる。その前にTVブロス買って領収書もらう俺は誰だという話だ。
そしてこういう店は必ず呪われたようにコピーを置く方向を間違えてミスプリントしてしまい、ファックスは2回に1回が未送信。私が紗川理帆のグラビアを食い入るように鑑賞していると、レジのババアが「こんな若いもんが仕事もしないで昼間から」と視線で牽制するので、横の守田奈緒子ヌードまで手を伸ばす勇気を失う。それとレジが長い行列の場合、必ず俺の手前の男は弁当を二個温めたあと公共料金を払うのは何故だ。何フォーメーションだ。
仕方ないので、私はその遥か先にあるローソンまで足を運んでいる。だが最近、私のフェイバリット・ミルクである小岩井はちみつ牛乳が商品棚から姿を消した。水球選手が水面下で足をバタつかせているように、平穏に建っているように見えるコンビニも、常にやるビニとアンビニが不可視の世界でせめぎあって、存在しているのだ。

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