バックナンバー・練乳工場(3月上旬)


3月11日/Theピーズはどこへ消えた?

すっかり忘れていたが、私はリリーフランキー主催美女選別家協会会員なのであった。
とにかく私のグラビアアイドルに対する動体視力は抜群に高い。コンビニに行くとヤンジャンの表紙が止まって見えるほどである。
私が注目して飽きたころ、世間でブレイクするというのも今さら触れるのも恥ずかしい業界の定説。優香、川村ひかる、川村亜紀、真鍋かをり・・・ どれも私のアンテナにかかったアイドルたちだ。アンテナこれ即ちチムポ。電波の周波数が分かるように、いつも黄色のリボンを飾っているよ。
しかし最近の風潮に苦言を呈したいのが、井川遥である。
私は井川遥は嫌いではない。向こうが構わないなら結婚してもいいかなと久しぶりに私の重い腰を上げさせた女だから。
ただ彼女を装飾する言葉の「癒し系」が、間違っている。ついでに勢いで書くと、癒し系の対極にあるのは「出光ケイ」。
世間はどこを見ているのだろうか? 視力検査で目を隠す小匙に神経を集中させるような盲目ぶりである。
井川遥について私はあまり情報を持っていないが、彼女の魅力とは水泳で鍛えられた健康な肢体にあるのでなければ、家族でジムに行く家庭的な部分にあるのでもない。ましてやキャンペーンガールのオーディションで、アサヒビールの幹部連中を前に田中邦衛の物真似を披露した度胸のよさにあるのではない。
彼女はグラビア200カットに1カットあるかないかで、ひどく淫乱な表情を浮かべる。厚い唇を突き出し、どこか遠くを泳ぐ目。つまりは生まれた時と同じような、あの顔だ。 健全さに秘匿された淫靡を見抜かなければ、真のグラビアウォッチャーにはなれない。聞いてるか、そこのヘロヘロパーマ。おまえみたいなバカが雑誌の上に雑誌置いて立ち読みするから、俺は小野愛ちゃんが出ているヤングアニマルが取れないんだよ。どいてくれ死んでくれ。
さて小野つながりで、もう一人の女性に触れなければいけないだろう。
小野文恵である・・・読者は誰それ? と思うかもしれない。しかし彼女の本名を聞けば、すぐ顔が浮かぶはずだ。
本名は「幸薄子(さち・うすこ)」。そう、「ためしてガッテン」に出ているNHKの女性アナウンサーである。
とにかく初めて見た時、私がイメージで抱いていた幸薄フェイスがそのまんまテレビの画面に現れたので、口に詰めていた吸い餅を逆流させてしまった。横で見ていた母親に至っては、「誰この人? 貧乏神?」と言い出す始末。
さらに発せられる声まで、私が想像していた幸薄ボイスそっくりの低音ではないか。
例えば藤あや子なら「艶のある不幸」。吉井怜ちゃんなら「悪運おっぱい」。大橋マキだと「(頭の中で飼っているハムスターが)今日も元気です!大橋マキ絶好調!」と女性のバッドライフ業界には棲み分けがある。その中で幸薄市場のシェアは、ほぼ小野文恵が独占している。実妹の幸薄恵(さち・うすえ)ことTBSアナウンサーの豊田綾乃も妙に暗い笑顔で頑張っているが、姉にはまだ遠く及ばない。
たたずまいだけで十分幸が薄いのに、先日なんか実験で血まで抜いていた。心なしか、血の色が黒い。私は映画の「アウトブレイク」を思い出し、幸薄菌が繁殖した世の中を想像して戦慄を覚えた。
彼女がフリーになってCBSドキュメントのキャスターに抜擢されないことを私は祈っている。ただでさえブルーな日曜の夜、あの番組で小野の進行を見て自殺を考えない奴は、真の無神経野郎だけだ。
そう。だから無神経だっつってんだろ、そこのすっとこピアス。おまえがどかないと宝島の小池栄子が見れないんだよ。

3月6日/入り口にトーキョーウォーカーを飾る一見お断り料亭

歴史は繰り返す。
小室哲哉の中森明菜、甲斐よしひろプロデュース、野村阪神に入団した与田、復活を賭けたプログラムが成功するとは限らない。
そして当代きってのヒットメーカー・つんくが、唯一の財産である島を狙ったのか、さだまさしプロデュースを明言した。
コンサートを控えたリハーサル会場では新ユニットのミーティングが行われていた。
プッチモニ、ミニモニに次ぐそのユニットの名前――
そう、サキモリ。
後藤「なんでこんなハゲジジイがプッチモニに入るのよー」
さだ「いらっしゃい。チリンチリン」
保田「それ、わたしたちのセリフでしょ!大体そのチリンチリンって何」
さだ「セイヤングでハガキを読む時、必ず鳴らす鈴です」
吉澤「よくわかんなーい。オジサン歌えるの?」
さだ「高校時代は落研でした」
保田「答えになってないわよ。とりあえずわたしたち歌合わせるから、そこで見ててよ。じゃあみんな、最初は「ちょこっとLOVE」ね!」
プッチ「♪〜こーいという字を〜」
さだ「♪〜煙草の〜火〜で〜消した〜」
後藤「何割って入ってんのよー、勝手に消さないでよー」
さだ「すいません。間違えました」
後藤「分かってんじゃない」
さだ「煙草の火を、でした」
保田「そんなことはどうでもいいのよ! オジサン、最後だけ合わせて。♪マル・マル・マルマルマル」
さだ「♪ませ・ませ・ませませませ」
保田「それ、「雨宿り」でしょ! もういいから黙って見てて。じゃあ気を取り直して、「1,2,3、青春時代」やります!」
プッチ「♪いっそが〜なきゃ〜始まらんDAY」
保田「さあゴマキのラップよ!」
さだ「俺より先に寝てはいけない。俺より先に風呂に入るな」
後藤「やだー何割って入ってんのー」
さだ「メシは早く作れ」
保田「人の話を聞きなさい! それラップじゃなくて、ただ文字数が多い説教歌でしょ!」
後藤「勝手に自分の歌歌うのやめてー」
さだ「もうしません」
後藤「ホント?」
さだ「多分しないと思う」
後藤「約束してくれる?」
さだ「しないんじゃないかな」
後藤「どっちなのよ」
さだ「ま、ちょっと覚悟はしとけ」
保田「それがあんたの持ち歌じゃないの!」
吉澤「わたしこの歌知ってるー。「関白宣言」でしょ?」
さだ「いえいえ。アンサーソングの「関白失脚」です」
保田「知るかダスキンハゲ! もういいからコンサートだけは大人しくしててよ」
さだ「長崎でやるんですか?」
保田「中野サンプラザに決まってるでしょ! なんでわたしたちが原爆追悼コンサートやんなきゃいけないのよ! ・・・さあみんな本番よ。頑張っていこう!」
コンサート
後藤「みんな元気ィ〜!?」
さだ「♪元気で〜い〜るか〜」
吉澤「今日はわざわざ来てくれてありがとう!」
さだ「♪今度〜いつ〜帰る〜」
保田「最近プッチの間ではメールが流行ってま〜す!」
さだ「♪手紙が駄目なら電話でもいい〜♪金頼むの一言でもよこせ〜!」
保田「横で「案山子」歌うな、ハゲメガネ! あまりにも説教がましくて♪つけないと歌だって分からないじゃない!」
さだ「では私のバイオリンのソロを」
保田「人の話聞けよ!」
さだ「落ち着きなさい、玲子」
保田「なんで私があんたの妹なのよ、自己破産ハゲ! 確かに私は面白いフェイスだけれど!」
さだ「そんなに怒るとミスタードーナツの割引券あげませんよ」
保田「それダスキンのサービスクーポンだろ、ハグキ!」
さだ「もう疲れました。私脱退して、つんくさんに頼んで新ユニット結成します」
後藤「モーニング娘。であなたと誰も組む人なんていないわよ」
さだ「いえいえ、こうせつと組んで宮崎でカントリー娘。をやります」
プッチ「ギャフン!」

3月3日/すごいぞ、くるり(シケたルックスが)

今回のハワイ沖における衝突事故によって、われわれアメリカ人は二つのことを学ぶこととなった。軍事演習中の安全管理の徹底がひとつと、もう一つは――日本とアメリカにおける謝罪の文化の相違に他ならない。そしてこの文化風習の隔たりを学ぼうとしないかぎり、両国の国交回復はきわめて遠いものになるだろう。
まず我々は、遺族が強要する「ドゲザ」という文化を理解する必要がある。
イスラム教徒が9割を占める日本にとって、「ドゲザ」は日常的な習慣である。1日3回、決められた時間(ウシミツノトキ、マダヨイノクチ、オヤツタイム)になると、時間を司る公務員・リュードウグミが矢倉にあがり、時を報せる太鼓を乱れ打ちする。それを聞いた日本人はたとえ仕事中だろうが、組体操の最中だろうが、時司省の長官ウザキ・リュードウが「カッポレとレゲエの融合・カッポレゲエ」という最低仕事の作曲中だろうが、一斉にコーキョのアッラーの神に向ってドゲザを開始するのである。
つまりドゲザは謝罪だけに用いられるものではない。日本ではほとんど全てのシチュエーションでドゲザは行われる。
五穀豊穣を祝ってはドゲザ。
堕胎を真剣にお願いするためにドゲザ。でも顔が見えないのをいいことにハンワライ。
地面に落ちたボンタンアメ(ジャパニーズ・グミキャンディー)を直接口で食べると見せかけてドゲザ。
その場に応じた正しい挨拶が分からない場合、とりあえずドゲザをしていればまず間違いないと言えよう。同時に「ゴショーダヨー、オショーバン、オショーバン」と声をかけるのがオールマイティーに使える。
これでお分かりであろう。日本の遺族がわれわれが十分な謝罪を施したあとも、まだ執拗にドゲザを迫るのは謝罪を求めているのではないのだ。事故によって出会った喜びを共有したいという好意の表れ、「イチゴイチーエ」の精神に基づいたものと解釈しなければならない。
とはいえ慣れない風習をいきなり行うのは違和感が残る。だからお互いが最も慣れた行動で好意を表現すればいい。つまり日本の遺族が我々アメリカ人にドゲザしたあと、我々が彼らの小さい体を優しくハグするのだ。
ここで感情の起伏を表すのを良しとしない日本人は、複雑な表情を浮かべるであろう。だが本当はバンザイしながらクリフからダイブしたいほど、内心は踊りあがっているのだ。我々は彼らの貧相な猫背の肩に手を回し、「ドンマイ(Don't mind)!ライセガアルサ(You should hope next your life)!」と、トロピカルドリンクでも振る舞えば、万事は丸く収まる。日本のことわざでいうところの「偉きゃ白でも黒になる。ベンベン」。ZENの本質だ。
ドゲザを体験したい人のために、やり方を記しておこう。まず両足を揃えて、膝から足の付け根の部分が地面に着くように座る。そして背を前方に丸め、額を地面に擦りつけながら、対象の人物に対して自分のアス・ホールを突き出すのである。動物の求愛に通じるポーズであり、まことにドゲザは奥が深い。
まだこれでも心が通いあわない時にだけ、日本人はハラキリを実践する。もしかすると遺族はネクスト・ステップとして考えているかもしれない。その時は前述の通り、遺族がハラキリする様を我々はプレイガムでも噛みながら眺めていればよい。

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