バックナンバー・練乳工場(5月上旬)


5月14日/フジコ(ヘミング)ちゃ〜ん

小料理屋の扉を開けて奥の座敷まで向かっている間に、嬌声が聞こえてきて足取りは心なしか重くなった。吉田は屈託なく参加してくれとは言ったものの、やはり断ったほうがよかったのではないか。
旧友の吉田は東北の地方都市で医者として働いている。年に1回ほど彼を訪ねて数人で車をシェアして北上する臭気漂うあいのりツアーを敢行しているのだが、週末に到着するといつもと勝手が違っていた。スケジュールを間違えて別の酒席を約束してしまったらしい。
「新しい看護婦さんの歓迎会みたいなもんなんだけどね。大丈夫大丈夫、まあ来てよ」
看護婦という言葉に惑わされ参加を決意してしまったが、よく考えれば磁石のN極とS極のように引き合う医者と看護婦の間に、一見の客として姿を表す俺たちはまさに砂鉄。目障り以外なにものでもないのではないか?
顎をはがれない砂鉄髭をさする見すぼらしい3名の年収とあいのりカーを足しても、医者の年収にははるか遠く及ばないのである。
医者「なんだこいつら。何でここにいるの? というか、なんで生きているの?」
看護婦「ねえセンセーいいじゃないそんな人体標本みたいな人たち、ふふ私酔ってきたみたいうふふふふ。お酌お酌してあげますわ。あら今日は柑橘系ですわねふふふ。そこの低所得層はガーゼに染み込んだ消毒アルコールでも吸っていたら如何」
ああ何だこの文壇バーのようなやり取りは。きっとこうして辱めを受けるに違いない、と覚悟を決めて襖を引いた。
そこに座っていたのは、目元が涼しい青年一人と3名の女性。青年とリーダー格らしき女はこちらに目をやると柔らかい口調で話始めた。
医者「やあようこそ。吉田から話は聞いてますよ。僕、津和野っていいます。せっかくの機会なんで今日は一緒に飲みましょう。まあ僕らもほとんど初対面ですからね」
看護婦「そうなんです、今日は歓迎会で初めて先生とお話するんですよ。わたし、千秋です。今日着いたんですか?少し東京と比べて寒くありませんか?」
猛省した。自分の歪んだ感性を強く恨んだ。
まるで「頭の体操」に出てくる「正直村の住人」のように余所者に優しくしてくれる彼ら。穢れない高貴な精神。こんなスィートな時間を邪魔する俺たちに気を使ってくれるなんて・・・
熱くなった目頭に気がつかれないように俯きながら、旅先で触れ合った人の優しさに俺たちは乾杯をした。
30分後。

(さっきのさわやか二人組)

なにそれ。
さっき初対面って言ったじゃない君たち。
ビデオで30倍スピード早送りさせても追いつかないこの展開、私には分かりかねる。中間はないのか?運動会の開会式の後に組み体操をするプログラムなんてあるか?
しかし5月上旬とはいえまだ山間には雪も残る東北。津和野先生と千秋さんも酒を飲んで少し身を寄せたい気分になったのに違いない。
プールの中で放尿したような温度差を感じながら、残りの覚醒者たちに向かって俺は笑いを取ろうとトークを展開した。
「スターウォーズに出てくるサルって(チュパ)名前なんて言ったっけ?(チュパ)チューパッカ?(チュパ)そうそう(チュパ)チューパーノバを目指して(チュッパパチュッパパ)」
ずいぶん相槌が多い気がする。それにもましてかなり独特な方言ではないか。
おそるおそる振り返ると、そこに津和野先生と千秋さんはいなかった。別人格の二人が蛇の毒を抜く応急処置のように唇を重ねていた。

(チュパ野先生と痴秋)

だがここで話をやめては場がますます重くなるばかりだ。俺は力を振り絞って先を進める。
「いい車乗ってる(ンチュッパンチュッパ)人いるじゃないですか(ンチュッパンチュッパ)チューパーカーとか(ンチュッパンチュッパ、コーリコリコリ)」
コリコリ音が聞こえた時点で俺は振り返ることを断念した。
これ以上どうにもならないと判断した俺たちはチュパ野と痴秋を置き去りにする腹を固め、さりげなく座敷を後にして脱出すると、近くのさびれた洋風居酒屋でしめやかに飲み直した。
すると取り残されて本意であるはずのチュパ野から吉田の携帯に連絡があり、なぜか、まったくもってどういうわけか二次会会場に姿を現したチュパ野と痴秋は、藤原氏が栄えたこの町でチュパチュパ源平合戦を延々と繰り広げるのであった。 夜の集中治療。ERと書いてエロと読む。というか、どうしてそんな臨床実験を人前でやる必要があるのでしょう?
翌日チュパ野先生には美人妻と生後4ヶ月の女児がいることを吉田から知らされた俺たちは、無言で車に乗り込むと迷わず東京方面へと車を驀進させた。未だに汚い髭は伸びたままになっている。

5月6日/殺人スライディングで堀を完成させる野武士野球

「たくみさんまずいんですマジで。引っ越した近くにクリーニング屋があってそこの娘が俺に気があるんです本当に。だってね・・・」後輩のNの箸がせわしくなく肉厚の卵焼きをつついている。
「・・・俺が店に行ったら渡してた衣料を洗って返してくれるんですよ!」
うん。それは商売だから。
支離滅裂な論理に相当酔いが回っているのかと目をやると、Nの手元の焼酎には口すらついていなかった。
ところが俺はさっきから酔いが回っている。冷やの日本酒を獅子落としのように傾けていたせいに違いない。
大学時代の仲間、いわゆるたくみちゃんファミリー・STO(鈴木工とおそまつフレンズ)が新宿に集った飲み会。神経の先が丸みを帯びるような心地よさにまかせて、さらに酒を追加しようか。それともずいぶん長居したからそろそろ店を変えようか。
そんな朦朧とした迷いを振り払った。俺は走るだけの体力を温存しておく必要があった。
なぜなら、この飲み会が終わったらこいつらを撒かなければならないのだ。
「撒く」――おそらく一般の飲み会では用いられないこのカルチャー。しかし俺たちの間では暗黙の了解事項となっている。
あの酒宴が終わって表をうだうだ徘徊する時のやるせない間はなんだろう。友人に向かって「じゃあ、また今度」なんて手を振ったりする時の気恥ずかしさはどうだろう。無神経な人間には理解できないかもしれないが、繊細な人間には酔いが醒めるほどの気まずいひとときである。
それを解消するのはどうすればよいのか?我々は毎週に及ぶ飲み会の末、唯一の結論にたどりついた。「撒く」のである。
会計もする。一言声をかければ済む。しかしシャイな男は、無断でラナウェイ、フライアウェイ。「撒く」の前では人類は平等。先輩も後輩も関係ない下克上。先に消えた者が勝者という、金属のように冷たいルールしかそこには存在しない。
現に今日の俺はほろ酔い加減で、もう一件行きたいくらいの気持ちである。しかしそれでも撒かなければいけない事情があるのだ。
目の前で平然と中ジョッキに口をつける、後輩のW。この男が、撒く・オブ・撒く。通称「リール」の名を持つ程の撒きっぷり野郎なのである。
とにかくWはさまざまな技を会得していた。トイレに行くふりをして金だけ残して去る「スタンダード撒き」はもちろん、「あ、眞鍋かをりが全裸で歩いてます!」と流したデマで周囲を駆け出すように操る「逆撒き」、集合10分前に現れ誰も来ない5分前に去っていく「影撒き」、自分の脳とホルモン焼きを交換して知能を実験用ラットまで落としヘラヘラ笑いをする「ものを考えたことがないから今日も元気です!大橋マキ」と多岐におよぶ。
今日のテーブルを囲む4人の戦績は以下の通り。
K/0勝50敗
N/数勝100敗
俺/十数勝何百敗
W/全勝無敗
もともと上下関係が薄い集合である。俺に至ってはMに沖縄料理をゴチになったので、呼び捨てぐらい嬉々として許容する始末だ。それにしてもこの後輩Wの一人勝ちっぷりはなんだというのだ。
このWに先を越されたら、俺の失踪は「後輩が挨拶しないで帰ったから、たくみさん、むくれて帰っちゃったよ」と不本意な解釈を受けてしまう。そうはさせるか。俺が先に撒いて、不安定収入者の底パワーを見せてやる。
会計を済ませた俺は店を出るなり、野心を隠すために過剰にはしゃぎながら、 「じゃあもう一軒行こうか」と提案した。
時間も早いせいか、みんなも同意する。どこに行こうかと周囲の店を見回したその刹那、俺は視界に入らないように腰を落としたまま全力疾走し、明治通りに飛び出した。
丁度通りかかった血でバンパーが赤く染まる佐川急便トラックの下に潜り込み、この日のために鍛えた親指と中指だけでシャーシをつまんだ。四角く切り取られた狭い空間から、新宿がみるみる遠ざかっていくのが見える。俺の提案を真に受けた仲間の視線は、まだ空いていそうな店のネオンを探していた。勝利の喜びで、その光景の輪郭は涙でにじんでいく。
翌日、Kから届いたメールには、「二次会盛り上がったのに、なんで帰っちゃったの?」とあった。俺の戦績にはまた一敗が追加され、Wは全勝を保ったままだ。「撒く」の奥はますます深い。

5月3日/山田くん、例のもの(ヤク)持ってきて

(前回、矢沢永吉の「回転寿司なんかこわくない」から続く)

ロンドンのウェンブリーに行ってきた。
ウェンブリースタジアムというところでプレスリーの没後20周年コンサートがあったのである。
日本のロックのボスであるぼくとしては、
(ぼくが行かないとまずいだろう)
とひそかに思っていたので、側近のK(担当のキクチ青年)に打ち明けると、
「やっぱりボスがいかないとまずいです」
と答えてくれたのである。
(そうだよね)
首筋をヤザワタオルでゴシゴシこすりながら、ぼくは思いきり眉をひそめた。
内心は、
(そうだよね。ぼくが行かないと始まんないだよね)
とニヤニヤしていたのだけれど、表面上は険しい顔をつくってゴシゴシしていた。
つまりゴシゴシニヤニヤとは、
「あ、この人はそう言ってほしかったんだナ」
となめられてしまうのを回避させる手段なのだ。
男は常に張ってないとまずいのだ。
そこでわれわれロックンロール極東日本支部の一団(ぼくと側近のKだけ)は、四月某日、いっぱいの缶ビールのロング缶とアタリメ、チー鱈を買い込んで上野発ウェンブリー行きの特急「ホームタウンひたち」に乗り込んだ。
ウェンブリーといえば、まずラーメン。
そして、意外に築地に近いのでお刺身もおいしいらしいと側近のKはいう。
それから支部長(ぼくのこと)と副支部長(側近のK)の協議の結果、時間の都合いかんによっては動物園の散策もやぶさかではない、との結論に達した。
(鈴木工註・作者は「ウェンブリー」と「上野広小路」を誤解している恐れがある)
しかし、ウェンブリーでのぼくの扱いはひどかった。
リハーサルはロッド・スチュアートやジョン・ボンジョビが占領して、全然時間をくれないのだ。
(だれだ、あのハゲ・アジアは)
という目でロッドもボンジョビもぼくを見ていた。
(コネで出演してもオレたちは認めないんだよね。英語しゃべれなきゃしょうがないんだよね)
と明らかに目が語っていた。
(ナメンナヨ)
とにらみつけてやったが、身長に激しく差があったので目がぜんぜん合わなかった。
えーと、おじさんとしてはですね、こういうのが結構傷つくわけです。
ぼくは泣きながらポルシェを富士吉田まで走らせたい気分になった。
こういうことを書くと、
「日本のロックは世界じゃ通用しないんだよね」
としたり顔で評論するオジサンが必ず出てくる。
「セイコもトシ・クボタも吉田栄作もアメリカじゃ全然なんだよね」
という。
音楽なんてものはね、国境なんて関係ないのッ。鈴木杏樹がイギリスでデビューしたとか、矢井田瞳がロンドンで人気なんて大嘘なのッ。
気を取り直したぼくは、
(音楽なら負けないぞ)
と決意を新たにした。
そこで、ぼくはステージでプレスリーの「ドント・ビー・クルーエル」をきめた。
(なかなかやるじゃないか)
よく通る声に驚いたロッドが、そう目配せしてきた(ような気がする)。
(今までただのハゲってバカにしててごめんね)
ロッドが視線でぼくにあやまってきた(ような気がする)。

全然似ていないロッド・スチュアートとジョン・ボンジョビに挟まれて熱唱する挿絵

ぼくがステージを降りると、みんなが、
「ボスが一番よかった」
と言ってくれた。
やっぱり本当のロックはぼくが背負っていかないと、と思った次第なのであります。


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