できればムカつかずに生きていきたい。とは田口ランディではなくても、私でも思っている。
馬鹿な男ほど愛しいとはさすがに思わないが。 特にツッコミ体質ではない私なんかは、できればツッコまずに生きていきたいと思っているのである。 しかし日常の瑣末な出来事が、私を捉えて離さない。 少年が親が買ってきた週刊新潮の「黒の事件簿」をまさぐり読むのと均等な情熱さで、 スーパーのお菓子売り場を探索していたところ、明治のプッカが赤字で「ショックプライス、90円!」と表示されていた。 しかし横には「定価95円のところ」ともある。たかだか5円の差しかない方が随分ショックだと思っていたら、 横に並んでいたネスカのキットカットも赤字で90円!と書かれていた。 しかしこちらは「定価88円のところ」とあった。実話である。 それは確かにショックな出来事。しかし私はツッコまずに生きたいのである。
電信柱に貼られたペット探しの貼り紙。カラーコピーで映されたオウムは、ジェニーちゃんというらしい。
電車に乗ると、入学試験が店長面接といった感じの短大に通っていそうなギャルが会話をしている。
本屋。ここまで来たら、私はツッコみの呪縛から逃れられるだろうと確信した。 |
地下から店を出ると、朝5時の街はすっかり白ずんでいて目が痛くなった。 飲んだり踊ったりしてひからびた3体の亡骸が、見慣れないアパレルがひしめく細い通りをとぼとぼ進む。 脆弱な肉体は朝日を浴びてますますしおれていく気がした。やがて青山通りにぶつかって左折する。 「牛丼が食べたい」 誰かが言った。 その声を聞くまで薄味のうどんが食べたいなと思っていたが、そう言われると、やるせない空腹とぱさぱさに 乾いてしまった全細胞に汁気をそそぎこんでくれるのは牛丼以外に考えられなくなってしまった。 それどころか、牛丼が食べたいと発言したのは自分であるような気がしてきた。 というか、俺が発言したのだ。 俺は牛丼だ。 「吉野屋がいいな」 また誰かが呟いた。 ふと油断してやっぱり熱いたぬきうどんもいいかなと思い直していたが、そう言われた途端、 吉野屋以外の店に入る気はさらさらなくなっていた。らんぷ亭の玉ねぎはごついし、松屋の牛肉はすこしパサついている。 モスやきにくバーガーを牛丼と信じ込むには時間がかかるし、GAPに至っては食料品を扱っていない上にコマーシャルが不愉快だ。 吉野屋しかない。吉野屋(セゾン系)しかないのだ。 「だけど、ここらへんにあったか、牛丼屋?」 片道4車線の道路も日曜の朝のせいか交通量はまばらだった。こんな静かすぎる朝の街にそう都合よく目的の店が現われるとは思えない。 顔をあげると、左手にオレンジの看板が燦然としている。 ほぼ目の前に吉野屋はそびえていた。 それにしても。俺は動揺した。こんなイージーに見つかってよいものだろうか? 朝のうちひしがれた気分。食べ物を求めて街を彷徨する若者たち。なにか起こりそうな予感すら漂っている。 そこに忽然と牛丼屋。欲望とそのゴールの距離が近すぎるのではないか。 ふと街中でハガキを出そうにもなかなかポストは現われないし、ニューヨークで働くメッセンジャーだって届け先のオフィスは すぐには見つからないだろう。オアシスを求めるタクマラカン砂漠の調査隊なんかなおさらだ。 障害が物語に色を添える。 それがストーリーの全てだ。 それを理解しているのに、それすらままならないなんて。訳もない怒りで目の焦点が合わなくなった。冗談ではないと思った。 こんな簡単に見つかる牛丼屋に入る価値はないと思った。友人が何を言おうが俺はこの店に入るまいと固く決心をした。 どんな非難を浴びようが構わない。それが自分のイージーさに反抗する決意表明だった。 10分後、牛丼(並)と生卵を食べ終えた俺は結構満足していた。始発に近い電車で家に帰った。 |
やたら地下鉄に乗り過ごす一日だったので、嫌な予感はしていたのだ。 今俺は某雑誌社に出入りさせてもらっていて、ありがたいことに私のような馬賊のような者に 社員食堂まで使わせていただいていて、食事をただでいただいている。 そう、読者の君達(朝倉病院通院者)が前文の冒頭で「ただで」と目にしたのは間違いではない。 驚く莫れ、ここの雑誌社は社食が関係者は無料なのだ。しかも私のような糞尿すくい程度のステージのような者は、 地面についた酒糟を手を使わずに頬張るだけでも幸福だと思ったら、ご飯におかずに味噌汁、何かよくわからねー漬物 に至っては食べ放題だ。 信じ難い話である。前に勤めていた会社などは労働組合自体が既に 存在しなくて、「社長、社食を作りましょう!」と言った者は、比喩的にも実存的にも首チョンパだった。 首チョンパ。いい響きだろ? 「バタンキュー」とセットであと1ヶ月必死でまくれば流行語大賞も夢じゃない。 さて夕飯を取ろうと社食に身を運ぶと、するっと女の子二人が俺の前に滑り込んできた。 あれ俺の方が若干早くない?と思ったが、なんせ私は「ぼっけえ、きょうてえ」に出てくる様な岡山の極貧村生まれ、 死国育ちのペットセメタリーに埋められる男。何も言えずに社員以外が社食を利用した時に名前と担当誌を書き込むノートに、 女の子たちがお笑いスター誕生で活躍した筋肉漫談家そっくりの雑誌名を書くのを眺めていた。 その社食は他と同様、小さなホワイトボードに本日のメニューが3品書き込まれていて、在庫がなくなり次第 そのメニューがボードから消される寸法だ。遅い時間に入ったので、残りは2品になっていた。 「カキフライ」 「牛肉と大根の煮込み」 俺の瞳から大粒の涙が、尿道から石がぽろぽろと零れ落ちた。カ。カ。カキフライ。こんな百姓一揆でも身内に真っ先に 殺される私にカキフライだなんて。 しかしどうせ鳴き砂みたいな小粒の牡蠣だろうと、たかをくくって厨房を見て驚愕した。 でかい。魚も泳ぐ戦国風呂!で子供が抱える魚のようにでかい。 私は手の震えが止まらなかった。 しかし。厨房で揚げている牡蠣の量が明らかに少ないのだ。社食のおばちゃんたちがあといくつ出せるかカウントまで 始めているではないか。俺の背中を冷たい汗が流れる。その時、前の女たちの会話が聞こえてきた。 「最近、和食にハマっててさー」 「あ、わたしもー。いいよねー、あっさりしてて。じゃあ今日は煮込みでいく?」 希望を捨てなくてよかった。俺は不覚にも落涙を止められなかった。ここまで僕を励ましてくれた ガールポップに感謝します!あ、勿論浜崎とかそういうのじゃなくて、バブル期にケツ振ってた安セクシー軍団系(例・BCG)の方ね。 一人暮らしをしてから半年間口にしなかったカキフライがぐんぐん目の前に近づいてきて、脈拍が高まる。 そして女たちの順番がやってきて、おばちゃんが何にしましょーと声をかけた。 女A「わたし、カキフライ」 女B「わたしもー」 おばちゃん「はーい、カキフライなくなりましたー」 厨房「はーい、カキフライ、ヤマ(終了)でーす」 私(卑しい身分)「じゃあ、僕もカキフラ 。 フラ。 ッはい?」 |
某歌手のライブチケットが欲しくて、実に久々に朝からチケットぴあに並んだ。 朝8時に販売所の前に駆けつけると、金も地位もないが時間と盗癖だけはある若造たちが既に列を作っていた。 ざっと目で追うと前から9番目だ。まあそんなものだろうと納得して腰を下ろすこと1時間、俺は重大な発見をするに至る。 よくチケット欲しさに並んだ者たちは、前から何番だったと早い順番を確保したことを自慢したがる。 しかしそれは無意味な行為だということに今気がついた。重要なのは後ろに何人並んだかのなのだ。 1時間後、俺の前には変わらず8名がいた。後ろにはまだ誰も並んでいない。 この1時間は何だったんだろうか? 1時間遅く来ても同じだったんじゃないの? 結局「一番前で並んだ」というのも、それが後ろに長蛇の列があることを前提にしているから凄いの事実なのである。 よく考えてみてほしい。「チケット発売の前夜からテントを張って並んで前から二番目。でも発売同時に 前に並んでいた洗っていないベレー帽にクロマチックハーモニカのような歯並びのおじさんにチケットが買い占められたので 買えませんでした! あの人、本当にビジュアル系のファンだったのかしら? もしかしてあれが仕手戦ってやつ?」という症状と、 「チケット発売前夜からテントを張って並んで二番目。翌朝、無事ゲットできました!でも発売した瞬間、後ろに誰も並んでいませんでした」 という病例では、どちらが価値ある行為と言えるだろうか。 言うまでもなく、前者である。そこには苦行を施したのに夢に届かなかった悲哀が 確かに存在する。 しかし後者なんて、ただの無意味の完全体ではないか。 そこには「発売5分前に来ればよかった」荒野しか寒々と存在していないのだから。 大体そんなチケットなんて、取れたところで要らなくなるに決まっているじゃないか。 ここで注意したいのは、「一番前に並んで後ろに誰も並ばなかった」者はそれなりに有意義な時間を過ごしたと言えることだ。 何故なら彼らは「今自分が並んでいるのは間違った場所ではないか?」という疑問と長時間戦い、 それに打ち勝って手に入れたチケットなのだから。それは素直に祝福しよう。 大体そういった場合、12時間並んで待った発売前の朝9時、打ち水をしに来た隣の花屋のおばちゃんに「そこ移動したわよー、 あそこのマルイに」と教えられるのがオチである。 こういう今時鈴木義司でも書かないようなギャフンな結末は、概して東急系の店に多い。 ちなみに大川興業系の某芸人は猪木の引退試合が見たくて当日券欲しさに一晩並び、翌日前に並んでいたイイ感じのオヤジは窓口に 「巨人ー阪神戦一枚!」と何の衒いもなく見事に言い放ったという。いい話だ。 とにかく俺は「後ろに誰も並ばない行列は何の意味もない」ということを師走の冷たい風に煽られながら感じていた。
案の定俺はチケットを手に入れることができなかった。それは前から9番目だったからではない。 |
少し目を離していると、好き勝手な事を言っている奴というのはどこにでもいる。
その中でももっとも始末に負えないのが新聞であると、俺は本棚を整理していたら出てきたスクラップブックを眺めながら確信した。 読みながら、「おい、それでいいのか?それで?」と紙面を前に虚しく一人で手刀を切って、空にツッコんでいた記事たちをメドレーで紹介しよう。 まずは簡単なところで今ティーンエイジャーの支持を熱く集めるバンド、リンドバーグを紹介する記事だ。 「ボーカル、ギターの渡瀬マキら男女の4人組。ロックを茶の間に持ち込んだといわれる」 今は大して珍しくない茶の間にロック。お煎に炬燵にロックンロール。あれはリンドバーグのおかげだったんだね! みんなロックンロールを発明したのは、ロックンロール氏だと勘違いしている人が多いけど、本当は渋谷陽一だから間違いないように! ある地方紙のイベント紹介より。 「藤沢市鵠沼公園横の引地川で、「クリスマス引地川イカダ天国」が開催される。 このイベントは橇に見立てたイカダに子供たちを乗せ川に触れることで、川の現状を知ってもらおうというもの」 ここまではきついイベントだなあと思うくらいだ。その後の結びの一文がすごい。 「当日はサンタクロースもかけつける」 その前にも後にも仮装云々の説明や、「下町の」「炊き出しによく並んでいる」「協議離婚調停中の」サンタといった装飾句も一切なし。 「市長が開会式に出た」とでも言うような素っ気無い文章で、「サンタもかけつける」である。 イチローがデビューした当時の記事。彼の観察眼は少年時代から凡庸なものではなかった、と記者は綴る。 「金魚は「なぜか、見ていると落ち着いた」。水槽の前で一時間、二時間動かなかった。 「これ、動きが変」と指した金魚は、二、三日後に本当に弱っていたという」 それはどう考えても、本当に動きが変だったからとしか思えないのだが。 「足元に犬の糞が目に入ったイチローは、「踏むな」と思った次の瞬間、実際に踏んでいたという」と何が違うのか。 ある中学生が自殺したという記事。彼は自分を追い込んだ五人の生徒を遺書で実名で告発していた。 その五人のリアクションを追う結びは以下の通り。 「五人は××君の死に「ショックを受けた」「無視して悪かった」「今後は勉強を頑張りたい」などと反省していた、という」 「という」じゃねえだろ。一つだけあまりに無防備な言葉があるとは思わないのか。天才・秀才・バカか、これは? しかし俺が本当に書きたかったのは、これだ。朝日新聞神奈川版に連載していた「かながわ百人の肖像」。 写真はいきなりバンダナにマッカーサーのようなサングラス、白髪交じりの長い髭で煙草を吹かす「もう一人のGGトッポ」にしか 見えない飯田繁雄さん(51)。職業は「モーターサイクルクラブ「横浜ケンタウロス」のボス」とある。 この胡散臭いオッサンは横浜ケンタウロスというバイク愛好集団を結成して三十年。ミニコミ誌を発行し、バイクの極限をつづるビデオなどを 作ってきたという。世間からは暴走族に見えるらしいが暴走族ではない、と言い張る意外とチャーミングな男だ。 しかし何して暮らしてるんだこいつは、と疑念が浮かぶ頃、実にいいタイミングで記事は彼の職業をとりあげる。 「バイク店を横浜市中区の中華街に開いたのは、結成後九年たってからだ。どう考えても赤字なのに、 生活費を捻りだすさまを「おたつマジック」とメンバーは呼ぶ」 呼ぶなよ! どう考えてもタネのある手品じゃねえか! 汚れた手でやるカードマジックだろ!? 今読んで気がついたが、この「おたつさん」がやるから「おたつマジック」と信じて疑わなかったが、 よく見るとオッサンの名前は飯田繁雄だ。何故? ツッコむだけでは終わらない、考えオチまで用意してくれたのだろうか。 |