2004年12月08日

菜箸を使って移植に励むヤミ医者

移植完了。以後、weblogはこちらにて。
http://d.hatena.ne.jp/komecheese/

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2004年12月06日

マムシ柳田が発足するスナックのマスターズリーグ

東京ドームにマスターズリーグの東京ドリームスvs福岡ドンタクズを見に行く。村田兆治が投じる140キロの球ばかりに話題が集中するが、斉藤明夫が130キロ出していることの方が驚きだ。全然、速球派とか節制しているキャラじゃないのに。49歳で頭すぶ剥けのオヤジが、ダーティーな含み笑いをしながら放るスローカーブ。あんたエロすぎるよ!
そしてアトラクションでは萩本欽一が登場してコミカルな動きを披露。これはお笑いマスターズリーグという意味? 欽ちゃんの全盛期を通過してきた我々は、”爆笑の羽衣”を脱いでしまった姿に深い痛痒を感じていたものだが、最近はそういうものとしてごく自然に見られるようになった。ビートたけし同様、面白いコメントは一切期待されず、存在することが価値というステージに立ったに違いない。二人がそこにたどり着くまでの道は全く違うけれど。
それに対してマスターズリーグのポジションが丁重に用意されているのに、まだバットをぶんぶん振り回してるのが西川きよし(20年連続3割30本30盗塁)。もうベース1周できないほど筋力が衰えている事実に本人が気づいていない。片岡鶴太郎はグラウンド入場厳禁。バックステージでおでん売ってろ。

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2004年12月04日

南海キャンディーズ・山崎が急病。代理役に指名される田丸麻紀

普段はビデオ録画したものを高速早送りして、1時間の番組を9秒85(追い風参考記録)で見てしまう『笑いの金メダル』。昨晩たまたまオンタイムで視聴したら、その渇いた風だけが吹き抜けていく内容に、ひとつの死を看取る感情を覚えた。
いろんな企画を投入して延命措置を図っている状態なのだが、鼻にセットした人工呼吸の管から流れているのは酸素ではなくて、完全にトイレ芳香剤の匂い。

中村獅童に抱いてきた好感の源は、そのフェイスがWAHAHA本舗的という理由に気づく。「昔、オホホ商会にいたんです」と言われたら納得してしまうに違いない。「喰さんのことは尊敬してますよ」というセリフも似合う。
「この10年でもっとも影響を受けたアートは吹越さんのロボコップ演芸」
「セクシー寄席の一人とつきあってます。これはオフレコでよろしく」
「今度、勘九郎さんと平成モンド兄弟を復活させる予定です」

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2004年12月03日

塀の中に埋められた懲りない面々

安部譲二『日本怪死人列伝』を読む。
戦後の日本史において迷宮入りになった12の怪死事件に、我らがジョージ・A・ベッシュが迫る内容。しかし証拠や証言を積み重ねて真相に肉薄する堅実きわまりない手法をジョージが使うはずもなく、ほとんど取材しないわがままジュリエットぶりで当時の資料を紐解いては真犯人をビシバシ断罪してしまうのだった。
そしてこの本のキモは真相が正しいかどうかではなく、いちいちジョージが強調する“事件当事者との関わり”にある。田宮二郎とは面識があり、新井将敬は飲み仲間。力道山の刺殺犯は府中刑務所のクラスメートで、下山事件の下山総裁にいたっては父親の盟友という顔の広さだ。アンダーグラウンド名刺(片方の側面が剃刀)をいったい何枚持っているのか。推理する視座というか、もはや全然座ってない。常に中腰で木刀持ってモノを考えている。
また当人と接点がない場合、ジョージは想像力をルーレットマンの速度でフル回転。日航機墜落事件ならパーサーだった知識を引っ張り出し、尾崎豊の死はシャブリストの先人としてレインボーきわまりない経験談をぶちまける。尾崎がトイレでシャブを打つ描写なんて、妄想だけで8ページ。童貞が文通相手に注ぎ込む以上のパワーだ。
そんな血肉の記憶だけが推論の根拠という本書の中で、特に心も身元も洗われるのは朝日新聞阪神支局襲撃のくだり。犯人が腰だめで散弾銃を撃ったと主張するジョージは、自らの思い出をこう回想する。
「昭和49年に私は、ブラジルとボリビアの国境地帯で、密林の中を百キロほど徒歩で移動しなければならない事情があった」
もう誰もそれがどんな事情かすら聞かない。きっとドラゴンボールでも探していたのだと思う。

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2004年12月02日

座頭市が踊り狂うカツシンサンバ

知人に誘われて、なぜか某外資系企業のクリスマスパーティーに潜入。
都内のお洒落一等地にあるイタリア料理店を借りきったパーティーの模様は、二階の一画から見下ろすことができる。約300人の社員が立食して談笑しているのだが、日本の忘年会と違い、酒を注ぎつ注がれつ挨拶にかけずり回る文化もなくて、たいへんスマートな雰囲気だ。
その外人が半分を占めるフロアの様子をムッソリーニ型をしたべっこう飴を眺めていると、会場に流れていたしっとりしたクリスマスソングが途切れ、場内が暗くなった。
2階のドア一点に注がれるスポットライト。そして聞き覚えのあるあのメロディ。
マ・ツ・ケ・ン・サ〜ン〜バ〜♪
ドアの向こうから現れたのはサンタ帽をかぶり、金ラメ衣装に身をまとった会社の偉いさんらしき外人男性だった。音楽に合わせ軽快なダンスをこなしながら螺旋階段を駆け下りて行く。
忘年会に外人が『マツケンサンバ』。磐石である。鉄板である。ハイスクール奇面組の生徒なら間違いなく「磐石鉄板」の名前がつく手堅さである。
そしてスポットライトを浴びながらフロアまでたどり着いたマツケンCEO(多分)。こういう出し物を幹部が照れることなく演じるのも驚いたが、それより衝撃的なのはその余興に社員の誰も興味を示すことなく談笑を続けていることだった。
2階から見ていると、肩関節の角度を270度使って池に熱した漬物石を放り込んだのに、池から湯気一つ波紋一つ立っていないのだ。磐石をちりばめた鉄板がバキバキ割れる音が響く。一瞬、マツケンCEOの衣装が普通の浴衣に変わっていた。
やがてパーティが終わりかけた頃、いまだ金ラメ衣装のマツケンCEOとすれ違ったので「グッドジョブ」と声をかけると、全く悪びれることなく「サンキュー!」と握手を求められた。なんとなく戦争しても外人には勝てないのだろうなという思いがよぎる。

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2004年12月01日

ズッコケ三人組がコシノ三姉妹で映画化決定

まだ続いていたとは。そして完結を迎えるとは。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20041130i506.htm
なんだかんだ言っても私の読書原体験としてすぐに思い浮かぶ書籍である。小学校の図書室で『ズッコケ三人組』と舟崎克彦の『ぽっぺん先生』、それにまどみちお詩集や、笹沢佐保、勝目梓、西村寿行が書いた講談社ノベルズのエロい部分だけ貪り読んだものだ。
20年も前はキャラクターが未完成で、まだハチベエ、ハカセ、モーちゃんという名称も定まってなかった記憶がある。確か当時は偽教頭・女スパイ・クローン羊の三人組だったのではないか。
最近のタイトルを見ると『ズッコケ驚異の大震災』と時事ネタに挑んだり、『ズッコケ三人組ハワイに行く』と高度成長期並みのゴージャスさを取り入れてる模様だ。『ズッコケ三人の神様体験』なんて『ガラスの仮面』の美内すずえ先生が原作かもしれない。
私が愛読していた時、内容はずっとシンプルだった。『それゆけズッコケ三人組』『とびだせズッコケ事件記者』『ズッコケバンド大結成』『ズッコケ三人組スイートルーム壊して大はしゃぎ』『ズッコケ三人組ファーストツアー”ずっとコケティッシュで”』『ハチベエ20000字インタビュー”もうズッコけてる場合じゃないから”』『ズッコケ三人組印税権をめぐって骨肉の争い』『ポリス解散』
それにしても挿絵のイラストレーターが亡くなって交替した事実にも驚く。次は鈴木英人か片岡鶴太郎の水墨画で。

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