本を読むことと謙虚さについて

| コメント(4) | トラックバック(0)

昔、哲学のいわゆる難しい本を読んでいて学んだことは、最初、意味がよく
わからなくても、こういうことかな? こういうことかな? と仮説を立てたり
しながら読み進めていけば、だいたいは理解できるということだ。

普通の本は、新しい用語や概念は先に説明しておいてから、それらを使って
論を展開していく。哲学の分野では、こういう普通の本では当たり前の論理
の組み立てでは伝えられない何かがあるのではないかと疑いを持ち、それと
は違う方法を試していたりする。たとえば、新しい用語を使って論を進めて
みてからその用語の説明をしたり、この用語はこういう意味であると言わず
に用語の使われ方で意味を伝えようとしたり。つまり、この分野では書かれ
ている内容だけでなく、本を書く手法もメッセージなのである。

こういうのは、とにかく他人の靴に足を入れて歩いてみるというのが重要で、
辛抱強く読み進めていけば、個々のピースが出てきて、それらのはまり方が
わかってきて、だんだん解けていくパズルのようなものなのである。高橋くん
は昔、日記でこのようなことについて「○○さんという人と初めて会って
どういう人かわからなくても、へぇ○○さんという人かこんにちは、とだけ
思っておいて、話を聞いていればそのうちどういう人かわかってくるような
もんだ」と書いていたような気がする。そういう気長さがあれば意外とどんな
本でも理解できるもんだ。

加えて、いったいどういう意図を持ってこういう文章を書いているのだろう?
どういう構造になっているのだろう? この語はこういう意味かな? と考え、
仮説を立てそれを検証しながら読むのもいい。書き手が伝えようとしている
ことと自分が理解したことの相違を検証できなかったとしても (そういうことも
よくある)、読む過程で考えたことは新しいアイディアや自分の能力に
間違いなくつながってくるから。

これも昔書いたことがあるかもしれない。奥出さんは、どんなものにも欠点
はあるだろうけど世に出てきている以上何か価値があるはずなので、揚げ足
取りをするよりはそういう価値をつかむようにした方がいいと言っていた。
これを聞いて珍しくいいこと言うなぁと思った。その通りだと思う。

自分がまだ知らないものがこの世にはたくさんあって、それらには自分がま
だ知らない価値があるということを認められること、そしてそういう自分の
知らないものに対してしかるべき敬意を払うこと。新しいことを学んだり、
自分とは違う専門や指向性を持つ人とつきあったりしながら、自分の世界を
広げていくためにはこういう姿勢が必要で、それが秋山さんの言っていた
謙虚ってことなのかなって思う。

しかし、人に「謙虚になりなさい」って言うのはほとんど無意味だよね。自
分がそう言われた時って、たいていは「こっちの言っていることを聞き入れ
なさい」ってことだったもん。そうならないように謙虚という姿勢の価値を
伝えるのは難しいのかも。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.sevendays.com/mt/mt-tb.cgi/194

コメント(4)

小説の場合の話なのでちょっとずれるかもしれませんが。

最近、好きでどんどん読めてしまうものよりも、読み進むのに努力を必要とするようなものをゴリゴリ読んでいく方が、好きになってきました。
私の場合謙虚になっているわけでは無くて、むしろ最初印象の悪い人に対しての方が、緊張感を持って対峙できて面白い・・ような気がしてます。(そういえば、私の人間関係も、第一印象が悪い人の方が後ですごく仲良くなることが多いなー)。

このブログ記事について

このページは、notoが2003年8月 9日 00:49に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「tramp with emacs on Mac OS X」です。

次のブログ記事は「sevendays.com」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.261