帰宅後、梅田さんの weblog で紹介されていた The Power Of Us
http://www.businessweek.com/magazine/content/05_25/b3938601.htm
を読む。会社から帰ってきてこういう英語の文書を読む気力が残っているというは重要。最近ほんと自分がからっぽになりつつある気がする。「緊急を要さないけど、でも長期的に見て重要なこと」に取り組めない状態になるくらい仕事しても、本当はそんなにいいことなんてないんだよな (そしてそういう状態ばかり要求されるならそれはあらためて搾取と呼ぼう)。個人のキャパシティという問題があるにしても、人間誰しもそういう制約条件下で生きているわけだし。
記事自体は、日本の Power To the People とか WAAG とかが出た頃かそれ以前から個人的に考えていたことなので新鮮味はそれほどないけど、
(1) その頃考えていたことは間違ってなかった
(2) でもうまく自分が関わって実現はできてねーな
と思った。
PC, フリーソフトウェア, ウェブサイトなんかのおかげで、手間ひまさえかければ自分のオンライン環境がどんどん住みよくなるように、本当の意味でのユビキタスコンピューティング (コンピュータが人間の意識から姿を消して、実世界での生活を陰ながらコンピューティングパワーでサポートしてくれる) が実現すれば、もっと実世界での生活も各自が望む方向に edit できるようになると思う。僕は仮にこれを editable world って呼んでいたんだけど、たぶんこの考え方は間違いじゃなく、もう 10 年くらいかかってだんだん実現していくはずだ。5〜10年くらい前に考えていたことが、今頃になってやっとうまい形で実現されるのを目にできるようになってきたし。そう考えると、過去に自分が考えたことや、当時誰かが考えていたことをいいタイミングで引っ張りだしてきて、実用化するということにはまだいろいろ可能性があると思う。研究の世界っていうのは、思った以上に実サービス化には早すぎるみたいだ。
しかし、ディスプレイで文字を読むのにめがねをかけてみたら、明らかにめがねをかけた方が楽でびっくり。特に後傾姿勢をとってヘッドレストに頭を乗せようとするとディスプレイから距離が離れて文字が読みづらくなるし... 大きいディスプレイのマシンがあった方がいいのか、ふだんからめがねを使うべきなのか。